ノート:倭国
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この記事は、必要がなく倭との統合すべきと考えます。Izayohi 2005年6月4日 (土) 23:42 (UTC)
- 報告が遅くなりましたが、史学上、倭と倭国の意味概念は微妙に異なってますので、その違いがなるべく判るよう(2005年12月頃からチョボチョボと)加筆しておきました。統合の必要はない、というのが私の意見です。
- 話は変わりますが、[1]の編集にて要約欄に、倭国は「ジャパンやジパングと同意義では」という記載がありましたので、若干言及しておきます。端的に言えば、倭国はジャパン・ジパングと全く義を異にしています。そもそもジャパン・ジパングは「日本」の中国語読みから派生したものです。話せば長くなりますので、これ以上はやめときますが、気になったので一言だけ申し上げさして頂きました。--shimoxx 2006年7月20日 (木) 16:18 (UTC)
すみません。5世紀における治天下大王号の登場について、「小中華主義の萌芽である」との加筆があり[2]、自分は「天下意識の発生ではあるけれども、小中華主義の萌芽ではありませんよ。」と要約欄に書いて、この記述を一旦消しておきました[3]。しかし、思うところあり吉村武彦先生、網野善彦先生、山尾幸久先生、その他の本を読んでみると、悉く「治天下大王号の発生は、小中華主義の萌芽である」旨の記述がありました。どうもこれは通説といっても良いのではないかと思われます。自分は天武~聖武期の小中華主義と完全に混同しておりました。加筆なさった方にお詫び申し上げますとともに、「小中華主義の萌芽」との記述を書き加えましたので、ご報告申し上げておきます。--shimoxx 2006年8月10日 (木) 13:51 (UTC)--少し追記shimoxx 2006年8月10日 (木) 15:40 (UTC)
この編集について、少し理由を説明しておきます。まず、倭国の中心的な政治勢力(大和王権)が、「日本」の前身であること(すなわち倭国から日本へ移行していること)は最低限書いておかなければならないことです。それから、「倭国」という呼称が、対外的な性格を持っていることも、言及の必要がある事項です。それに関連して、対外向けの倭国王号と別に国内向けの大王号・治天下大王号が登場した経緯についても、言及が必要です。また、本項では倭と倭国を意識的に区別しています。以上のとおり、曖昧さですとか冗長性などをもって捨象してしまえない理由があることにご理解いただけますと大変助かります。--shimoxx 2006年11月29日 (水) 06:27 (UTC)
- まず基本的な認識を促したいと思います。
- 即ち、「倭→日本」という変化は単に表記上の変化に過ぎないということです。どちらも言語としては「ヤマト」であり、そう訓じます。
- この変化を革命的、ドラスティックなものととらえる向きは他の項目でも見受けられますが、過大評価であり、間違っていると思います。
- 変化の理由や過程については既にある記述の通りです。
- さて、「倭国」が「対外的な呼称」である、とのことですが、これも間違いで、"呼称"ではなく漢語による"表記"です。
- 大陸王朝への文書は当然漢語漢文で、自国(ヤマト)を表す記号としての「倭」を認知していれば、無論「倭」が用いられます。
- 「倭」という記号を認知したのであり、「ワ」という漢語を受容したわけではないのです。
- 対内/外的に使い分けていたのではなく、漢語を表記する場合と大和言葉を表記する場合があったということです。
- 「王」と「大王」といった表記上の差異については、
- 大和言葉において「キミ」と「オホキミ」が厳密ではないにしろ使い分けられることもあったのに、
- なぜ「倭国大王」と表記しなかったのかという疑問の出来もあり得ると思いますが、
- これは「格」の違いを意識し、それを表しているというよりも、やはり漢語の通例に習ったのであり、
- 漢語と大和言葉の差異の表れということになると思います。
- 以上の認識を踏まえれば、以前の記述の冗長な部分、蛇足部分が明らかになるのではないでしょうか。--220.148.103.97 2006年11月29日 (水) 10:10 (UTC)
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- う~ん、管見では、倭国(倭)から日本への国号変更に大きな政治史的意義を見出す考えは、歴史学研究の場で主流をなしているように思えるのですよ。倭国にせよ日本にせよ、外国を強く意識した国号であることは、多くの研究者が論じており、広範な支持を集めているように見受けられます。特に網野善彦氏がこうした議論を長らくリードされてこられましたが、他に神野志隆光氏、吉村武彦氏らといった主要な古代史研究者の主張にも見ることができます。いくつか参考文献も掲げていたのですが、220.148.103.97さんに消されてしまいました・・・(T_T)。
- という訳で、220.148.103.97さんの上記のご記述が、どの研究者の主張に依拠するものであるのか、できれば文献名も含めてお示し頂ければ嬉しいです。お示し頂ければ、それらの研究者・文献の主張を踏まえた内容で加筆することができ、本項目の品質向上につながります。しかし、お示しがなければ、ウィキペディアの基本方針に則りまして、残念ながら元の記述に戻すこととなってしまいます。願わくば前者とならんことを。--shimoxx 2006年12月1日 (金) 15:12 (UTC)
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- 「倭→日本」という表記の変更問題についての言及は、網野氏的レトリックに引きずられるshimoxx氏のような方、
- 即ち、「大宝律令以前は日本など存在しなかった」(にほん/にっぽんならば、存在するようになるのは更に後です)
- とついつい吹聴してしまう方が囚われている先入観を相対化することが目的であり、
- 本項の具体的記述と直截的な関係があるわけではないので、差し戻しの根拠にはなりません。
- ちなみに、国号の変更ではなく国号表記の変更であるというのは単なる事実で異論の唱えようがないため、
- 学術的議論の対象になることはあり得ません。
- そして繰り返しますが、国号表記変更の理由や過程については既にある記述の通りです。
- 本項の質の向上を望むのであれば、安易に差し戻すのではなく、新たに編集すれば良いのではないでしょうか。その方が発展的です。
- 参考文献の記載には気付かなかったため削除してしまいましたが、再掲しておきました。申し訳ありませんでした。--220.148.99.35 2006年12月1日 (金) 18:31 (UTC)
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- 参考文献の件については、わざわざありがとうございました(*^_^*)。
- 言い方がまずかったようですので、言い直してみます。220.148.XX.XXさんが消去された「(倭国は)後に日本へ移行した」には例えば吉田孝氏の見解(『日本誕生』(岩波新書)など)が、「倭国は対外的な呼称」には例えば神野志隆光氏の見解(『「日本」とは何か』(講談社現代新書)など)が、「治天下大王号の登場を小中華主義の萌芽と見て、倭国に中国とは別個の天下意識が生じたと捉える」には吉村武彦氏・網野善彦氏・山尾幸久氏らの見解が、それぞれ根拠として存在しております。倭国→日本を国号変更とする考えにも、例えば吉田氏・神野志氏ら他の論考があります。ですので、これらの記述には十分な根拠があった訳で、いきなり消去してしまうことは聊か乱暴に過ぎるのではなかったかなあ、と思った次第です(出典なり根拠文献が明示されていなかったという問題はありましたが)。また、Wikipedia:中立的な観点というウィキペディアの根幹的な方針にかなうものとも思えませんでした。
- 220.148.XX.XXさんがご主張なさる「倭→日本は国号変更ではなく表記の変更」という議論は、どの研究者の見解なのでしょうか。ウィキペディアには、信頼できる文献に依拠すべきというWikipedia:検証可能性と、項目内容に執筆者の個人的見解を反映させないというWikipedia:独自の調査の2つの根幹的な方針があります。どうか根拠とされた研究者・文献をお示し願いたいと思います。--shimoxx 2006年12月1日 (金) 20:15 (UTC)
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- 『「倭→日本は国号変更ではなく表記の変更」という議論』などは存在しません。常識であるからです。
- 「ヤマト→ヤマト」が国の呼称の変更に当たると考える人間が存在するのでしょうか?
- 国号の変化、「ヤマト→ニホン/ニッポン」という変化は大宝律令の公布から平安時代にかけて緩やかに起こった現象です。
- これは単なる歴史的事実であり、事実関係が争われることはありません。
- 検証可能性に関して、専門書を挙げる必要もありません。一般的な国語辞典で十分です。
- というかこの言及は、前段としての、shimoxx氏に伺える先入観への苦言であって、
- またそもそもこの認識を反映した記述などしていないのですが・・・。
- "倭"という文字を"悪む"ようになった古人の意識の発露について特筆する価値があるというのは私も同様に考えており、
- 国号表記変更の理由と過程についての現在の記述に問題があるとは思っていません。
- 逆に聞きたいのですが、これは事実ではないのですか?事実でなければ一体なんなのか?一体どのような異論が存在し得るのでしょうか?
- また、この点は是非再確認していただきたいのですが、消去の理由はあくまで冗長性です。
- Wikipediaに記載するかどうかは、研究者の見解によって判断するものではありません。利用者の判断によります。根本をお忘れなく。--220.148.99.35 2006年12月1日 (金) 22:23 (UTC)
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- 結局のところ、「(倭国は)後に日本へ移行した」「倭国は対外的な呼称」「治天下大王号の登場を小中華主義の萌芽と見て、倭国に中国とは別個の天下意識が生じたと捉える」などの記述を220.148.XX.XXさんが消去された理由は、冗長性ということですか。上記は、古代史学でも倭国を論ずる上での主要なテーマとなっており、古代史学の専門書のほとんどで言及されています。ですので、倭国の項目においても叙述すべき事項であり、冗長性をもって消去することは適切とはとても言えません。
- 今日、図書館へ行って様々な文献にあたりましたが、倭国(倭)から日本への変更を「国号の変更」「国号を新たに定めた」とする文献はあっても、「単に表記を変えたもの」とする文献はありませんでした(やむなく子連れで行きましたので、文献をメモする余裕がなかったことをご容赦願います)。ジッポン・ニッポン・ニホン等の読みが登場したことについて、国号の読みの変化とする文献はあっても、国号自体の変化を示すものとするとする研究を見出すことはできませんでした。ですので、「単に表記を変えた」というのは220.148.XX.XXさんの「独自の考察」なのではないでしょうか。ウィキペディアは、一個人の考えを喧伝する場所ではありません。学術研究の成果などを体系的に叙述していく場です。ウィキペディアへ記載する際に研究者の見解を十二分に踏まえることは、Wikipedia:検証可能性・Wikipedia:信頼できる情報源・Wikipedia:独自の調査などにもありますとおり、執筆者が当然に遵守すべきこととされています。利用者の判断によります、というのは誤りです。くれぐれも誤解なされませぬよう。
- と言う訳で、220.148.XX.XXさんが典拠をお示しにならない限り、これ以上議論を続ける必要性が認められません。後ほど本項目及びヤマト大王の記述を戻しておきます。--shimoxx 2006年12月3日 (日) 09:10 (UTC)
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- レスポンスありがとうございます。しかし理解されず残念です。広辞苑あたりはお持ちではないでしょうか?広辞苑を当たってみて下さい。
- 「国号」という語が問題であるのかもしれませんね。それが音声を表すのか表記を表すのか、「号」なのだから当然音声であると私は思うのですが。
- 「国の呼称」として考えてみてはどうでしょうか。
- というか、改めて言いますが、この問題は当項目の現在のホットスポットとは直截的な関係はありません。
- 根拠となる典籍はとりあえず示しましたが、そもそもこの見方を元にした記述はしていません。既に記述されているので。
- 百歩譲って「国の呼称の変更ではなく表記の変更」という事実が私にしか理解できないものであったとしても、
- これに関連してなんら記述していない以上、「一個人の考えを喧伝」したことなどないのです。基本を押さえて下さい。
- 記述について「戻す」とのことですが、出来れば再編集でお願いします。特にヤマト大王は。
- 不適切な記述が見られれば再度編集しておきますので、よろしくお願いします。--58.93.96.2 2006年12月3日 (日) 11:12 (UTC)
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- とりあえず、百科事典の編纂に当たって『広辞苑』などの字書が典拠となることは極めて限定的なのであって、少なくともこの議論においては全く典拠たり得ないことをご理解ください。ここは学術的な項目なのですから、専門的研究者の論文・著作を典拠としてください。(ご編集の根拠となった文献は結局ないのですね。)
- 一個人の考えを喧伝云々についてですが、220.148.XX.XX=58.93.96.2さんのご編集に関して申し上げております。重要な記述を消去してしまうことは、ウィキペディアに必要な中立的な観点・検証可能性に背く行為です。220.148.XX.XX=58.93.96.2さんがご信念に従って消去されたとしても、その事項が学術研究の場で重視されているのならば、結局、一個人の考えの喧伝ということになってしまう訳で、そのことを申し上げたかったのです。--shimoxx 2006年12月3日 (日) 12:56 (UTC)
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- 広辞苑の記述の信頼性に疑問が付されるということもあり得るのでしょうが、学術的成果の反映、特に定まった説の網羅的記載による信頼性から一般に受け入れられているのではないでしょうか。とりあえず編集し直しておきました。--58.93.96.2 2006年12月3日 (日) 14:05 (UTC)
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- 1点だけ。5世紀頃の倭国に発生した小中華主義・天下概念については言及しておく必要がありますので、コメントアウトを外しておきました。--shimoxx 2006年12月3日 (日) 14:36 (UTC)
- 大王号の成立、ヤマトの勢力、版図の拡大についてはどうでしょうか?--58.93.96.2 2006年12月3日 (日) 14:49 (UTC)
- まず、何冊か文献をお読みになって、それから議論の続きをいたしましょう。山尾幸久氏、吉村武彦氏、吉田孝氏、神野志隆光氏、倉本一宏氏あたりがオススメです。--shimoxx 2006年12月3日 (日) 15:12 (UTC)
- まあ急ぐ必要はないですよね。--58.93.96.2 2006年12月3日 (日) 15:18 (UTC)
- 1点だけ。5世紀頃の倭国に発生した小中華主義・天下概念については言及しておく必要がありますので、コメントアウトを外しておきました。--shimoxx 2006年12月3日 (日) 14:36 (UTC)
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Shimoxxさんにちょっと助け舟ですが、私たちが非近代の文献について現代的な感覚を持ち込んでしまいやすいものに、読み方の問題があります。現代では読書というのは個人の内面の営為とされ、黙読するのが当たり前で朗読というのは特殊な読み方になっていますが、洋の東西を問わず、非近代社会では文章を読むとは朗読こそがスタンダードでした。また、漢字仮名混じり文が普及するまで、音読みの言語空間と訓読みの言語空間の融合は未成熟です。これは、今日でも仏典を僧侶が詠じるとき、音読みで朗読すること、前近代の漢籍学習には素読が当然だったことを思い浮かべていただけば理解しやすいでしょう。つまり、国号表記が変わっても発語する音は変わらないということはなく、表記が変われば、それに対応する音読みの発語も存在したというのが、この時代の言語世界としては当然のことなのです。漢文表記があれば、当然それを音読みで発語しているわけですし、日本という国号を遣唐使が唐の朝廷に報告していますが、これも文書を提出しただけではなく、当然音読み、中国語の発語を伴っており、遣唐使が唐の朝廷で「ヤマト」と発語したわけではないと考えるのが当然でしょう。また、国号、あるいは国号表記の変更は中華王朝へのアピールの意味が濃かったわけですから、そこには漢文世界の知識人が理解しうる発声が伴っていないと考えるのは非常に不自然です。だから、表記の変更が発語の音声と無関係というのは、歴史学的にいえば「常識」どころか非常にユニークな発想と考えざるを得ません。--ウミユスリカ 2006年12月3日 (日) 12:07 (UTC)
- 漢語と大和言葉を使い分けていたことは既に指摘しています。
- 「表記の変更が発語の音声と無関係」でないのは当然のことで、だからこそ「ヤマト→ニホン/ニッポン」になったわけです。
- とにかく「日本」が当初は「ヤマト」と読まれたこと、そして「ニホン/ニッポン」と読まれるようになったのは後世であること、
- これは事実なので、反論を唱えることは不可能でしょう。
- あと、対外的に「おおきみ」を称した例があります。--58.93.96.2 2006年12月3日 (日) 12:25 (UTC)
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- いや、私は同時代に訓読みのヤマトと音読みのニッポンが共存したといいたいのですが・・・。特に国号というのは対外関係において意味を持ってくる性質のものですので、対外的に「日本」という国号あるいは国号表記を採用した時点で当然同時にニッポンという発語も存在したと考えるのが普通です。それをニッポンという読みは後世であるとし、タイムラグがあったと主張するためには何らかの根拠が必要となりますが、何をもって「事実」とされるのでしょうか?これは確固たる事実どころか、そう主張するためにはかなり実証的な議論が必要になってくると思うのですが。あと、いわゆる邪馬台国以前、漢朝から金印を受けた九州の奴国の属した倭国も「ヤマト」と発語したとお考えですか?--ウミユスリカ 2006年12月3日 (日) 12:40 (UTC)
- 広辞苑あたりを当たって下さい。Shimoxxさんが編集をされたようなので、ちょっと失礼します。--58.93.96.2 2006年12月3日 (日) 12:44 (UTC)
- いや、私は同時代に訓読みのヤマトと音読みのニッポンが共存したといいたいのですが・・・。特に国号というのは対外関係において意味を持ってくる性質のものですので、対外的に「日本」という国号あるいは国号表記を採用した時点で当然同時にニッポンという発語も存在したと考えるのが普通です。それをニッポンという読みは後世であるとし、タイムラグがあったと主張するためには何らかの根拠が必要となりますが、何をもって「事実」とされるのでしょうか?これは確固たる事実どころか、そう主張するためにはかなり実証的な議論が必要になってくると思うのですが。あと、いわゆる邪馬台国以前、漢朝から金印を受けた九州の奴国の属した倭国も「ヤマト」と発語したとお考えですか?--ウミユスリカ 2006年12月3日 (日) 12:40 (UTC)
広辞苑は所詮は中規模国語辞典という限定つきの世界での最高峰。こういう学術的な議論の参考資料に耐えるしろものではありませんよ。昔から、生物学や歴史学、人類学などで、学術的な常識からかけ離れているけれども、通俗的な解釈ではまかり通っている語義解釈を、注釈なしで堂々と載せている事例が数多く知られています。--ウミユスリカ 2006年12月3日 (日) 12:56 (UTC)
- なるほど。--58.93.96.2 2006年12月3日 (日) 14:05 (UTC)