傅亮
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傅亮(ふりょう、374年 - 426年)は、東晋、宋の政治家である。字は季友、北地郡霊州の人。
416年の劉裕の北伐に従い、420年には、前年に宋王となった劉裕への禅譲工作を行った。その結果、劉裕は恭帝より禅譲をうけ、宋を建国し、傅亮は、建城県公、のちに中書監・尚書令となる。
422年の武帝(劉裕)の死に際しては、徐羨之らとともに、少帝の後見を依頼される。しかし、徐羨之らと謀り、政治力不足を理由に少帝を退位・殺害し、文帝を擁立する。権力を手中にした傅亮は、散騎常侍・左光禄大夫・開府儀同三司の役職を加えられ、栄華を謳歌した。
しかし、426年に文帝より少帝殺害の罪を問われ、殺害される。
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