全国部落解放運動連合会
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全国部落解放運動連合会はかつて存在した日本共産党系の同和団体。略称は全解連。
部落解放同盟内部において、同対審答申の評価などを巡って日本共産党支持者が日本社会党支持者と見解の齟齬を来した結果、1970年6月に部落解放同盟から追放される形で分裂・結成した部落解放同盟正常化全国連絡会議(正常化連)が前身である。
1976年、この正常化連が改組する形で全国部落解放運動連合会が部落解放同盟とは完全に袂を分かつ形で結成された。
部落解放同盟、全日本同和会(全国自由同和会が結成された後は、そちらが取って代わる)と並び、同和問題の主要三団体と呼ばれ、政府の交渉対象団体として認知されていた。
“「アメリカ帝国主義に従属する日本の独占資本」が部落差別を生み出す主敵である”とする正常化連時代の主張とは一転し、同時期に日本共産党が提起した国民的融合論を運動の基調に据え、“部落差別は基本的に解消している”との立場を取った。正常化連時代の主張から軌道修正した点については何の釈明も行わなかった。
部落解放同盟に対しては“「排外主義的」である”として激しい批判を展開した。その一方で、運動の初期においては、全解連が差別と認定した事象については部落解放同盟と同様の厳しい糾弾闘争を展開することが多かった。しかしその後、1980年代に“糾弾に教育的効果なし”とする決議を出してからは、一転して糾弾闘争を批判する勢力の急先鋒に立つ。
2004年4月3日に“部落問題は基本的に解決した”とし運動終結を宣言して事実上解散し、東京で翌4月4日に発足した全国地域人権運動総連合(全国人権連)に「発展的に転換」(改組)した。