公証人
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公証人(こうしょうにん)とは、ある事実の存在、もしくは契約等の法律行為の適法性等について、公権力を根拠に証明・認証する者のことである。
日本においては公証人法に基づき、法務大臣が任命する公務員で、全国各地の公証役場で公正証書の作成、定款や私署証書(私文書)の認証、事実実験、確定日付の付与などを行う。日本全国で、公証人は543名,公証役場数は299箇所ある(2000年9月1日現在)。日本の公証人には職務専従義務があり、兼職は禁止されているので、弁護士登録をしている場合には、その登録を抹消する必要がある。
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[編集] 公証人の歴史
その起源についてはローマ法に由来するとされ、中世(12世紀とされるが詳細は不明)の神聖ローマ帝国(ドイツ・イタリア)が始まりであると言われている。当初は皇帝やローマ教皇の免許を要したが、後に自治都市内のギルドに資格授与権が下賜されるようになった。
当初は商業上の契約や帳簿など広範の私的文書作成を担当してきたが、14世紀以後商人達の識字率向上や複式簿記の発達などに伴って専ら法的文書の作成に従事するようになる。
公証人には当時一般的であった厳しい徒弟制度が存在せず、教養人にとって必須であったラテン語の知識が求められた(逆に言えば、ひとかどの教養のある人であれば、誰でも公証人の資格が取れた)事などから、自由を求めるルネサンス時代の都市教養人にとっては憧れの職業となり、その頃のピザやジェノヴァ、フィレンチェでは、人口200人に1人以上の割合で公証人がいたと言われている。
だが、同時に悪質な公証人が現れる危険性も増大したため、1512年に当時の皇帝が「帝国公証人法」を定めてその公的性格と公平中立の義務、国家による監督という基本原則が定められたのである。
[編集] 日本の公証人
[編集] 沿革
日本では1886年にフランスの制度を参考にして「公証人規則」が制定され、3年後に第1回の任命が行われて123人が任命された。だが、このときには公正証書の作成は出来ても認証権限は存在しなかった。1908年にはドイツ式に改められた「公証人法」が制定された。
[編集] 任命
公証人は、30年以上の実務経験を有する法律家の中から法務大臣が任命する公務員で、公証役場で執務している。多くは、司法試験合格後司法修習生を経、30年以上実務経験を有する法曹資格者から任命される。そのほか、多年法務に携わり、これに準ずる学識経験者で「公証人審査会の選考」を経た者も任命できる。2002年年度から、法曹資格を有する裁判官・検察官・弁護士は年3回、多年法務に携わり、これに準ずる学識経験者で、「検察官・公証人特別任用等審査会」が定める基準に該当する者は年1回の公募により任命されることになった。
高等裁判所、地方裁判所および家庭裁判所の裁判官の定年は65歳だが(裁判所法第50条)、公証人は70歳まで勤務することができるため[1]、裁判官、検察官および法務省を退職した後に就くことが多い。1989年度は、全国530人の公証人のうち、判事経験者150人、検事経験者240人、法務局長など法務省職員OBが140人を占め、弁護士出身者は1人しかいない。
- 公証人法第12条
左ノ条件ヲ具備スル者ニ非サレハ公証人ニ任セラルルコトヲ得ス
- 日本国民ニシテ成年者タルコト
- 一定ノ試験ニ合格シタル後6月以上公証人見習トシテ実地修習ヲ為シタルコト
2. 試験及実地修習ニ関スル規程ハ法務大臣之ヲ定ム
[編集] 報酬
公証人は公務員だが、指定された地域に自分で役場(公証人役場)を開き、書記らを雇って職務を遂行する。国家から俸給を得るのではなく、依頼人から受け取る手数料が収入源の独立採算制である。手数料は公証人手数料令(平成5年政令第224号)で定められている。東京や大阪では、年収3,000万円を超える者も存在する。
[編集] 注釈
- ^ 法務大臣は、公証人が70歳に達したときは、公証人を免ずることができる(公証人法第15条第1項第3号、戦前は終身制であった)。公証人法は「一定の試験に合格した者を公証人に任ずる」と定めている(第12条第1項第2号)。一方、「裁判官、検察官、弁護士の資格を有する者を試験を経ずに公証人に任ずることができる」規定がある(第13条)。さらに、「多年法務に携わり、裁判官に準ずる学識経験者も、試験を経ずに公証人に任ずることができる」規定もある(第13条の2)。公証人法に定める試験は、実施されたことがない(「公証人規則」時代は試験記録が残されている)。
[編集] 参考文献
- 朝日新聞「孤高の王国」取材班『孤高の王国 裁判所』(朝日文庫、1994年、単行本:朝日新聞社、1991年) ISBN 4-02-261058-1