六郷政林
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六郷 政林(ろくごう まさしげ、元文2年(1737年) - 寛政9年9月10日(1797年10月29日))は、出羽本荘藩の第6代藩主。第4代藩主・六郷政晴の三男・六郷政蔭の長男。母は側室と言われている。正室は阿部正福の娘。子に六郷政聲(長男)、六郷政速(三男)、六郷政暁(六男)、娘(三枝守義正室)、娘(大関増輔正室、離縁後船越景範継々室のち中西元武正室)ら。官位は従五位下、兵庫頭。
幼名は弁之助、長之助。初名は政経。宝暦4年(1754年)、先代藩主で伯父の六郷政長が死去したため、その養子として後を継いだ。政長の長男・六郷政展を養子としたが夭折。長男・政聲も家督を継ぐことはなかった。天明3年(1783年)12月18日、三男・政速に家督を譲って隠居。寛政9年(1797年)9月10日に61歳で死去した。法号:徳厳院光道良淳。墓所:東京都台東区西浅草の万隆寺。
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