前田利章
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前田 利章(まえだ としあきら)は、江戸時代の大名。加賀大聖寺藩の第4代藩主。
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時代 | 江戸時代中期 | |||
生誕 | 元禄4年3月16日(1691年4月14日) | |||
死没 | 元文2年9月6日(1737年9月29日) | |||
別名 | 富五郎(幼名) | |||
戒名 | 正智院殿廓巌泰然大居士 | |||
官位 | 従四位下、備後守 | |||
藩 | 加賀大聖寺藩主 | |||
氏族 | 前田氏 | |||
父母 | 父:前田綱紀、母:保寿院 養父:前田利直 |
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兄弟 | 前田吉徳、前田利章 | |||
妻 | 正室なし、側室:水越氏(貞昌院)、 内藤氏(桂林院)、石倉氏 |
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子 | 2男4女(長男:前田利道、次男:前田信成、 富、弓(南部利雄室)、典(真田信安室)、 篤(前田長敦室)) |
元禄4年(1691年)3月16日、加賀藩主・前田綱紀の五男として金沢で生まれる。大聖寺藩の第3代藩主・利直の養子となり、宝永7年(1710年)に利直が死去したため、翌年1月29日に後を継いだ。しかし父親の諫言も聞かずに放蕩三昧な生活を繰り返して藩財政を悪化させ、さらには凶作が原因で正徳2年(1712年)に百姓一揆が起こり、享保17年(1732年)には幕命による江戸城改修工事による出費でさらに藩財政を悪化させるなど、無能な藩主の典型だった。
元文2年(1737年)9月6日に大聖寺で死去した。享年47。墓所:石川県加賀市の実性院。
後を長男の利道が継いだ。
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