前田直信
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前田 直信(まえだ なおのぶ、天保12年(1841年) - 明治12年(1879年))は江戸時代の人物。加賀八家筆頭前田土佐守家の10代目当主。前田土佐守家の8代目当主前田直良の長男。母は篠井氏。
嫡男であったが、藩主前田斉泰の子静之介が養子として入ってきたため母の実家に養子に出される。1856年元服して前田直会となっていた静之介が亡くなったため、呼び戻され家督を相続する。写真が現存しているが俊敏そうな容姿であり、その容姿に違わず軍事面の才能があったか、藩主斉泰が将軍徳川家茂に供奉して上洛する際には(おそらくは警備の責任者としてであろう)供を務めたり、京都守衛の藩兵を率いて上洛したりなどしている。残される率兵上洛時の文書からは情勢認識の正しさと緊張感を持って事に当たっていた様子がうかがえ、また家臣に対しても『女の事件は起こすな』『買い物はきちんと現金で』などと遠足前の教師のような注意書きも出しており、上は国事から下はちょっとしたトラブルまで、『何が危険か』をしっかりとわきまえた人物であったようである。
大政奉還後は加賀藩大参事、明治維新後は尾山神社の祀官となり祖霊に仕えた。
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