剣幸
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
剣幸(つるぎ みゆき、本名:赤田明美(あかだ あけみ)、1954年3月2日 - )は、富山県富山市出身の女優で元宝塚歌劇団月組男役トップスターである。
目次 |
[編集] 概説・略歴
芸名は出身地の富山県を代表する山のひとつである剱岳に由来。愛称のウタコは、京唄子(京本人に勝るも劣らぬ口の大きさと芸達者さ・プロ意識ぶりから、らしい)からきている。
1974年宝塚歌劇団に入団。『虞美人』で初舞台。工業高校(富山県立富山工業高等学校)出身という異色の経歴で注目を集めた。「プロダンサーになりたくて、宝塚がどういうところかよく知らず受験した。」(本人談)
同期に元女優の遥くらら(元星・雪娘役トップ)、女優の大浦みずき(元花組男役トップ)、宝塚歌劇団専科の磯野千尋がいる。月組に配属された。
公称身長162センチと小柄で(昭和60年以降就任の男役トップでは最も身長が低い)、下級生時代は歌劇団演出家・ファンらにあまり注目されず不遇であったが、新人公演で当時の男役トップにして副組長待遇だった榛名由梨の役どころを見事にこなすなど努力で才能を開花させた。
1985年、大地真央の後を受け月組のトップスターになる。相手役には剣が実力を見込んで指名・就任したこだま愛が就き、トップ披露公演は『ときめきの花の伝説/ザ・スィング』。演技・ダンス・歌・日舞に高いプロ意識がすべてそろった男役であった。
1990年『川霧の橋/ル・ポアゾン』をサヨナラ公演にこだま共々惜しまれながら退団。
[編集] 退団後の活動
数多くの舞台・テレビに出演。(一時期は平仮名のつるぎみゆき名義で出演したのもある)
若手演劇関係者養成施設を立ち上げるも早期に破綻するなど不遇だった時期もあったが、今も舞台を中心に芸能界の第一線で、宝塚時代と変わらぬ質と完成度の高い仕事を残し、ファンを喜ばせ続けている。
[編集] 主な出演作品
[編集] 在団中の舞台
※トップ就任前の代表作(役)
- 情熱のバルセロナ - スタンダール原作小説『パルムの僧院』より、ラファエロ役
- ガイズ&ドールズ - ブロードウェイミュージカル傑作、賭博師ネイサン役
- 二都物語 - チャールズ・ディケンズ原作の同名小説より,チャールズ・ダーネイことシャルル・ エブレモンド役
- 永遠物語 - 岩下俊作原作の小説『無法松の一生』より、吉岡敏雄役
- 夜霧のモンパルナス - 薄幸薄命の天才画家アメデオ・モディリアーニの生涯を描いた映画『モンパルナスの灯』のミュージカル化作品、モディリアーニ役(主演)※バウホール公演
- 南太平洋 - ジェームズ・A・ミッチェナーの小説「南太平洋物語」をリチャード・ロジャースがミュージカル化した傑作、エミール役(主演)※バウホール公演
※トップ時代の代表作
- ときめきの花の伝説 - スタンダール原作小説『ヴァニナ・ヴァニニ』より
- 哀愁 - ロバート・E・シャーウッドの戯曲、ヴィヴィアン・リー主演で映画化されたことでも知られる名作
- パリ、それは悲しみのソナタ
- ミー・アンド・マイガール
- 南の哀愁 - 内海重典作、初演春日野八千代・乙羽信子で大好評だった悲恋物の傑作の再演
- 心中・恋の大和路 - 近松門左衛門作「冥途の飛脚」より瀬戸内美八による初演が好評を博した傑作の三演※バウホール公演
- 恋と霧笛と銀時計
- 新源氏物語 - 田辺聖子の『源氏~』意訳小説で榛名由梨による初演が好評を博した傑作の再演
- 天使の微笑・悪魔の涙 - ゲーテ原作小説『ファウスト』第一部より
- 大いなる遺産 - チャールズ・ディケンズ原作の同名小説より
- 川霧の橋 - 山本周五郎原作『柳橋物語』と『ひとでなし』より
- ル・ポアゾン~愛の媚薬~
[編集] 退団後の出演作品
- 「蜘蛛の巣」菊田一夫演劇賞受賞
- 「わかば」(施主の妻)
- 「異邦人~ボーダーレス・ラブ」
- 「兄おとうと」(2006年)読売演劇大賞中間発表・女優部門に選出
- 「テネシー・ワルツ ~江利チエミ物語~」(2006年)美空ひばり役
- 「美しい罠」(2006年)
- 「曲がり角の向こうには」イヴ役
- 「カーネギーの日本人」九条華子役
- 「サド侯爵夫人」モントルイユ夫人役
- 「わが闘争」燿子役
- 「広域捜査官 楠練三郎」/ANB
- 「牟田刑事官 事件ファイル」/ANB
[編集] エピソード
- 下級生時代、幾度となく野川由美子と人違いされた。
- 大の魚嫌いで有名。一番嫌いなものはちりめんで「死骸の山」だと本人談。また『心中・恋の大和路』で劇中タイのお頭つきが出てくるシーンについて、スタッフに頭をさげて小道具のタイを蒲鉾に変えてもらったといういきさつを持つ。