加藤直泰
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加藤 直泰(かとう なおやす、元和元年(1615年) - 天和2年1月5日(1682年2月12日))は、伊予大洲藩の初代藩主。父は加藤貞泰。母は小出吉政の娘・法眼院。正室は小出吉親の娘。官位は従五位下、織部正。
加藤泰興の弟に当たる。幼名は大蔵。織部。1623年、幕命で1万石を分与されて大洲藩の支藩である新谷藩を立藩した。しかし領地などの争いもあって兄の泰興と内争を続け、1639年になってようやく和解した。その後は陣屋や侍屋敷の建設など、藩政の基礎確立に尽くした。また、直泰自身は歌道に優れた人物であり、古今伝授を受けている。1682年正月5日、68歳で死去し、後を養嗣子の加藤泰觚が継いだ。法号:要関院殿一機直入居士。墓所:大洲市新谷の法眼寺。
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