加藤貞泰
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加藤 貞泰(かとう さだやす、1580年(天正8年) - 1623年6月19日(元和9年5月22日))は、安土桃山時代から江戸時代前期にかけての武将(大名)。豊臣秀吉に仕えた加藤光泰の嫡男。正室は小出吉政の娘。子に泰興、直泰、娘(細川興昌室)。
父の死後、後を継いで豊臣秀吉に仕えた。慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いでは東軍に与して島津義弘率いる島津軍と戦った。また、長束正家が守る水口城攻略でも功を挙げた。
慶長15年(1610年)、伯耆2郡6万石を領して米子城主となる。慶長19年(1614年)からの大坂の陣でも徳川方に与して功を挙げ、戦後、その功績により伊予国大洲藩6万石の藩主となった。元和9年(1623年)5月22日、44歳で死去し、後を加藤泰興が継いだ。
法号:大峯院殿英叟雄公大居士。墓所:東京都台東区浅草の海禅寺。
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