北条保子
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北条保子(ほうじょうやすこ、? - 嘉禄3年11月4日(1227年12月13日))は鎌倉時代初頭の武家女性。父は初代鎌倉幕府執権となった北条時政。兄弟に源頼朝正室・政子、義時らがいる。通称「阿波局」。
義兄・頼朝の異母弟である阿野全成に嫁ぎ、4男・時元を儲ける。その後、甥に当たる源実朝の乳母に抜擢される。
しかし頼朝の死後、北条氏と2代将軍源頼家との争いが激化し、建仁3年(1203年)5月19日に北条氏側と見られた夫・全成が頼家の手の者により斬殺されてしまう。この時、保子親子は姉・政子の保護により助命された。その後も実朝の元に使えていたらしく、牧氏事件においては、先手を打って実朝を避難させ、牧の方の謀反を義時に密告したとされる。しかし実朝死後、謀反の疑いで処罰された息子・時元を弁護したなどの記録はなく、その後の動向は明らかではない。嘉禄3年に亡くなったときには叔母に当たるという理由で北条泰時が30日の喪に服している。
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