千葉宗胤
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千葉 宗胤(ちば むねたね、1265年(文永2年)-1294年2月12日(永仁2年1月16日))は、鎌倉時代中期の武将。千葉氏の第9代当主。第8代当主・千葉頼胤の子。千葉胤貞の父。千葉新介。
父頼胤の死後、元寇による異国警固番役で九州に下向し、大隅国守護職を与えられた。宗胤は正式に千葉介に就任する前に下総を離れたため、のちに宗胤の弟・千葉胤宗が千葉介を継承することになり、千葉氏は、下総と肥前に分裂することになる。宗胤はのちの九州千葉氏(肥前千葉氏)の祖となり、下総を本拠とする千葉氏は胤宗の系統が継承することになるが、宗胤は肥前のみならず下総においても千田庄、八幡庄などに地頭職を多く与えられていた。永仁2年(1294年)1月16日、30歳の若さで死去した。
千葉 宗胤(ちば むねたね、? - 1807年4月26日(文化4年3月19日))は、江戸時代の人物。千葉氏の第37代当主。第36代当主・千葉紀胤の子。