南久雄
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南 久雄(みなみ ひさお、本名:南 久夫、 1944年1月29日 - )は、大阪府吹田市出身の元プロボクサー。元日本ウェルター級、東洋ウェルター級、東洋ミドル級チャンピオン。日本、東洋で三つのタイトルを制した重量級の名選手。中外ジム所属。関西のジム出身者として初めて世界王座に挑んだ選手でもある。
[編集] 略歴
1962年デビュー。1965年12月27日、渡辺亮の持つ日本ウェルター級王座に挑むが、引分けで奪取ならず。翌1966年10月3日の再挑戦では渡辺に雪辱、10回判定勝ちで日本王座を手にしたものの、翌1967年3月27日の初防衛戦で窪倉和嘉に判定で敗れ、タイトルを手放してしまう。12月15日の再戦でも窪倉に判定負け、王座奪回はならなかった。
しかし、翌1968年には復調、6月19日にホープ龍反町を判定で破って地力を見せつけると、10月2日には東洋ウェルター級王者、強打のムサシ中野の強打を封じ、ダウンを奪っての判定勝ち。
その余勢を駆って同年11月20日、東洋ミドル級王座に挑む。王者は前世界ジュニア・ミドル級王者、韓国の金基洙であった。南は軽快なフットワークで金を見事にアウトボックスし、判定で王座を奪う殊勲の星を挙げた。
このタイトルは翌年3月1日の再戦で金に奪い返されたが、同年5月21日、今度はフィリピンのフィリピノ・ナバロを10回KOし、東洋ウェルター級王座を獲得、東洋の二階級を制した。
同年9月9日、遂に世界ジュニア・ミドル級チャンピオン、フレディ・リトルに挑んだが、2回、リトルの強烈な右ショートを浴びてKO負け、世界の壁は厚かった。同年12月17日の再起戦でも、上り調子のカシアス内藤に判定負け。
翌1970年4月1日、韓国の任炳模に敗れ、東洋ウェルター級王座を失う。金沢英雄、龍反町といった次代のスターに敗れた後、1971年1月8日、輪島功一の持つ日本ジュニア・ミドル級王座に挑んだが、7回KO負け。後に日本チャンピオンとなるイーグル佐藤に敗れたのを最後にリングを去った。
オーソドックスなボクサーで派手さはなかったものの、日本重量級の歴史を飾るチャンピオンである。
[編集] 通算戦績
43戦22勝(3KO)17敗4引分け