南紀豪雨
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南紀豪雨(なんきごうう)は1953年(昭和28年)7月16日から25日にかけて発生した大雨である。
全国での死者713名、行方不明者411名、負傷者5819名、住宅全壊7704棟、住宅半壊2125棟、床上浸水20277棟、床下浸水66202棟、耕地流出・冠水98,046ha、船舶被害112隻に及んだ。 被害の大半は7月18日に和歌山県において発生した水害によるものであった。 この水害は紀州大水害、7.18水害、28水害と呼ばれる。
7月15日より日本海を低気圧が進み、その後梅雨前線が本州上に停滞した。 これにより東北地方以西の各地で大雨となり、それによる土石流が頻発して大きな被害が発生した。
7月18日には和歌山県の有田川、日高川、貴志川、熊野川の上流で土石流が川に流入した。 土石流は下流の橋の大半を押し流し、堤防を決壊させて甚大な被害を出した。 道路や通信も遮断され被災地が孤立した。 7月17日から18日までの総雨量が600mmに達した地点もあった。
7月20日には長野県南木曽町で土石流が発生し、死者3名、流出家屋8棟の被害があった。
7月23日には岐阜県上宝村で山崩れが発生し流入した土砂が神通川を堰き止め、翌日決壊して土石流となり死者3名の被害があった。