厚狭毛利家
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厚狭毛利家(あさもうりけ)は、江戸時代の毛利氏の一門家老のひとつ。毛利元就の五男・毛利元秋を祖とし、のち元就の八男・末次元康が跡を継ぎ、関ヶ原の戦いの後長門厚狭(現在の山口県山陽小野田市)に10,500石を与えられたのが始まりである。
元康の跡を子・元宣が継ぎ、厚狭郡末益村(現・山陽小野田市)・厚東郡船木村(現・宇部市)を与えられ、末益村の郡に居館を構えたことにより厚狭毛利氏というようになった。
[編集] 厚狭毛利家当主一覧表
初代・毛利元秋
2代・末次元康
3代・毛利元宣
4代・毛利元勝
5代・毛利就久
6代・毛利元連
7代・毛利就盈
8代・毛利就宣
9代・毛利房晁
10代・毛利元美