末次元康
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末次 元康(すえつぐ もとやす、永禄3年(1560年) - 慶長6年1月13日(1601年2月15日))は毛利元就の8男。少輔七郎。官名は兵部大輔、大蔵大輔、官位は従五位下。
はじめは出雲末次城主となったことから末次姓を称したが、1568年に同母兄・椙杜元秋が急死したため同国月山富田城代となった。1591年、吉川広家が富田城主になり、元康は備後国神辺城主となる。 豊臣秀吉の朝鮮出兵にも参加している。 1600年の関ヶ原の戦いの際には、東軍か西軍かと揉める家中の収拾に当たっている。そして大津城攻略戦にも参加し、その勇猛振りを遺憾無く発揮している。