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毛利 元秋(もうり もとあき、天文21年(1552年) - 天正13年5月3日(1585年5月31日))は安芸の戦国大名毛利元就の5男。母親は側室の三吉氏。少輔十郎。官途は刑部大輔。
周防国国人椙杜隆康の養子となり、椙杜元秋と名乗る。しかし後に離縁し毛利姓に復姓している。
1570年に月山富田城主となり、与力として天野隆重を付けられている。この時に富田氏を名乗ったとも言われている。
1585年に月山富田城にて病没する。
遺領は同母弟の末次元康に受け継がれた。