吉田建
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吉田 建(よしだ けん、1949年11月21日-)は、日本の作曲家・アレンジャー・ベーシスト。
大学卒業後からプロとして活動し、りりィのバックバンド(バイバイセッションバンド)では若き日の坂本龍一等とともに全国をツアーで回るなどの活動をする。1980年代には沢田研二のバックバンド(正確にはユニット)、エキゾティクスのベーシスト、アレンジャーとして活躍する。
その後、吉川晃司やウルフルズ、氷室京介のアレンジャー、ベーシストとして活躍し、1996年にはテレビ番組『LOVE LOVEあいしてる』にベーシスト・アレンジャーとして参加。親しみやすい「おっさんキャラクター」として人気を博す。この番組への出演が縁で、1999年にはフジテレビの連続ドラマ『傷だらけの女』(第9話)、2001年には同じくフジテレビの「ルーキー!」(第11話)に、それぞれゲスト出演まで果たしている。 現在は『新堂本兄弟』の音楽監督、ベーシストとして出演している。
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[編集] 評価
[編集] 人物
平成の第2次バンドブームに多大な影響を与えたテレビ番組『いかす!!バンド天国(イカ天)』において、審査委員を勤めた彼は非常にシビアに審査することで知られていた。またその他のテレビ出演などにおいても、敬語や丁寧語を使うことがあまり無く、そうした態度から彼を「不遜」とみる向きは少なくない。さらには、自業自得ともいえるがそのような批判が拡大解釈された結果、彼自身の音楽面を含めた功績を「過大評価」と揶揄する傾向もみられる。
[編集] 音楽
先に述べたように彼はエキゾティクスのメンバー、リーダー、アレンジャーとして1980年代初期の沢田研二の音楽活動に最も大きな貢献を果たした。具体的には歌謡曲の面影を引きずる沢田研二の音楽性(それ以前の井上堯之率いる「井上バンド」時代は、『勝手にしやがれ』のように楽曲にオーケストラが使われることが多かった)をロックバンドスタイルに変換し、これを確立させている。
そして、沢田研二に少なからぬ影響を受けた人物の一人に氷室京介が挙げられる※が、BOØWY解散後のソロ活動初期において編曲家として貢献したのも彼である(同様に吉川晃司の編曲も担当している)。こうしたBOØWYや沢田研二のフォロワーらによって第2次バンドブームが巻き起こることとなるが(一例として元プリンセス・プリンセスの岸谷香は、沢田の代表曲『ス・ト・リ・ッ・パ・ー』をアマチュア時代にカバーしていた)、彼はイカ天審査員としてそのムーブメントを影で支える立場にあった。
つまり第2次バンドブームにおいて「沢田研二⇒氷室京介(BOØWY)⇒当事者たち」というラインを鑑みた時、彼は前史から終焉までそのすべてに携わったということができる。ただし氷室京介の音楽性にはキャロルやRCサクセションの影響も強く、むしろそちらの方が語られる機会は多いのだが、こうした評価は確立されているとは言い難いのが現状である。この背景には、沢田研二(エキゾティクス)が氷室京介(BOØWY)や第2次バンドブームへ与えた影響が評価として確立されていないことも一因であると考えられる。
- ※氷室京介はソロ活動初期において、吉田建と並びエキゾティクスのメンバーだった西平彰を編曲家として迎え、西平はアルバム「SHAKE THE FAKE」までのライブパフォーマンスを支えたバックバンド「SP≒EED」のリーダーも勤めた。2人の対談において氷室は、西平が沢田に作曲した『6番目のユ・ウ・ウ・ツ』という楽曲を高く評価しており、吉田と西平の招聘をエキゾティクス時代の活動に拠る部分が大きいことを明かしている。なおソロ歌手が特定の「バックバンド」を従えるという活動スタイルは沢田研二にその端を発する。