和製大砲
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和製大砲(わせいたいほう)は江戸時代初期より日本で製造された青銅製砲尾閉塞式の大砲の事。
それまで日本で用いられていた大砲は大口径だが、子母砲という形式に伴う暴発の危険性や口径の割には威力が低い(発射ガスの噴出を原因とする)青銅製の石火矢と、前装式による安全性と威力の代わりに鍛造の限界により大口径のものが製造できない鉄製の大筒といった二系統が存在した。
この内、大筒はその後も細々ではあるが製造され続けた一方、石火矢は欧州より新たに伝来した前装式の鋳造砲(青銅砲)に取って代わられる事になる。この形式の大砲が日本に伝わったのは記録上、大坂の役に備えて徳川家康がイギリスより購入したカルバリン砲4門・セーカー砲1門が初見である。また、同時にオランダより大砲を12門購入しているがこの弾丸重量は四貫(約33ポンド)から五貫(約41ポンド)目あることからカノン砲と思われる。
その後、同形式の砲が日本でも製造される様になったがこの時、砲全てを一つの鋳造型で製造する南蛮流(欧州流)と尾栓のみを別個に鋳造しネジで塞ぐ和流の二系統が存在した。因みに後者が尾栓のみを別個に製造した理由は不明である。
これらの砲は島原の乱で用いられた以後は永い太平の世で細々と製造され続けていたが、江戸後期になると高島秋帆による西洋砲術の導入や幕末の黒船来航により技術の遅れを露呈し、西洋砲に取って代わられる事になる。但し、和製大砲は大砲の絶対数が少ない事から幕末の動乱時においても各地で用いられ続けた(下関戦争でイギリス軍に鹵獲された長州藩の大砲の中には尾栓ネジを有する和流大砲が含まれていた)。
[編集] その他
プロ野球などでは、日本人ホームランバッターのことを和製大砲と呼ぶ。