利用者‐会話:喜連川一色家
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
はじめまして。ウィキペディアへようこそ。このページはあなたの会話ページです。他の利用者からあなたへのメッセージが書き込まれます。そしてこのページを編集することで、他の利用者からのメッセージへ返信することができます。
目次 |
[編集] ウィキペディアにようこそ!
こんにちは、喜連川一色家さん、はじめまして!Doripokeと申します。ウィキペディアへようこそ!
- ウィキペディアで活動する際にはガイドブックを是非ご一読ください。きっとご参考になるものと思います。
- よろしければ自己紹介してみてください。
- お隣の利用者ページは、ご自身の自己紹介の他、作業用のスペースなどとして利用することができます。
- 執筆の際には中立的な観点および著作権にご留意ください。
- 何か疑問点がありましたらWikipedia:井戸端で質問することができます。
あなたが実り多き活動をされることを楽しみにしております。Doripoke 2006年10月7日 (土) 04:51 (UTC)
Welcome to Japanese Wikipedia. If you are not a Japanese-speaker and expect further information, visit Wikipedia:Chatsubo for Non-Japanese Speakers. Enjoy!
なお、このメッセージは主に利用者‐会話ページに何も記入されていない方に投稿しております。喜連川一色家さんが、すでに活動を開始されてから期間が経っていらっしゃるのでしたら、ご存知のことばかりをご案内したかもしれません。不明をお詫び申し上げます。--Doripoke 2006年10月7日 (土) 04:51 (UTC)
[編集] プレビュー機能のお知らせ
こんにちは。ウィキペディアにご寄稿頂きましてありがとうございます。喜連川一色家さんが同じ記事に対して短時間に何度も投稿されているようなので、同じ記事への連続投稿を控えて頂くようお願いに参りました。
投稿する前に「プレビューを実行」のボタンを押すと、整形結果を先に見ることができます。これを使うことで
などを予めチェックし、修正してから投稿すると同じ記事への連続投稿を減らすことができます。この利点についてはWikipedia:同じ記事への連続投稿を減らすに説明があるのでよろしければお読み頂けると幸いです。また、Wikipedia:ガイドブックにウィキペディア全体のことについて分かりやすく解説されていますのであわせてお読みください。ご理解とご協力をよろしくお願いします。 --Doripoke 2006年10月7日 (土) 04:51 (UTC)
[編集] 私は喜連川とは全くの無関係ですが
- どうも私が喜連川町関係者である、と思われているようですが、喜連川町誌(1977年版)発刊当時は私は幼稚園児ですし、喜連川町史が発刊されたころは、ちょうど私が定職に就いた頃です。以前にも書きましたが、宇都宮生まれ、ヒップホップ育ちでして、居住歴は宇都宮市、浦和市(現さいたま市)、黒磯市(現那須塩原市)のみです。また行政関係の職に勤務した経験はありませんし、歴史を専門としていません。(ゲームセンターの店員ならしたことがありますがすべて宇都宮市内です)一体なんの根拠を持って思いこまれているのでしょうか?正直、私にとって喜連川の歴史が歪曲だろうが捏造だろうが、そんなもんは知ったこっちゃありません。うちの本家は市貝ですし、親戚も、知人も、喜連川にいません。
- Wikipediaは隠されている事実を明らかにする場所ではありません。これは公式の方針です。一言で説明するのが難しいので、Wikipedia:基本方針とガイドライン内のリンク先をお読みいただければ、と思います。以上、よろしくお願いします。--Doripoke 2006年10月7日 (土) 05:23 (UTC)
[編集] プレビュー機能のお知らせ
初めまして、TETRAと申します。喜連川一色家さんが同じ記事に対して短時間に投稿を繰り返されているようなので、一括投稿のお願いとプレビュー機能のお知らせに参りました。 Wikipedia では投稿・更新された文章について、全ての版を保存するシステムを採用しており、例えば、ある記事に3回の編集を行ったときには、最新の状態の他に過去3回の状態がそれぞれ保存されます。このときの編集には実際の編集の量、範囲は関係なく、細かい編集を施し、投稿した場合でも、投稿一回につき記事全体が古い版として保存されます。
このように同じ記事への連続投稿はウィキペディアのサーバーに負荷を掛けるほか、履歴の見通しが悪くなったりと、いろいろな面で不便になります。(詳しくはWikipedia:同じ記事への連続投稿を減らすをご覧ください) これを避けるため、記事を投稿する前にミスなどがないかを確認したのち、一括して投稿してくださるよう願いします。
投稿前の確認には、投稿ボタンの右隣にある「プレビューを実行」ボタンをご活用いただくことをお勧めします(画面右側の図を参照)。これを使うことで、
- 文字の太字、斜体、見出し付け
- リンク
- 誤字脱字
等を予め確認し、訂正した上で記事を投稿することができますので是非ともご活用下さい。ご理解とご協力をよろしくお願いします。
また、失礼かとは思いますが、今回はお知らせ用の定型文(履歴)を利用して投稿させて戴きました。上記をご理解いただけたらこのメッセージは削除していただいて結構です。
以上、今後の喜連川一色家さんの活動の助けになれば幸いです。失礼します。
― TETRA 2006年10月8日 (日) 16:34 (UTC)
[編集] プレビュー機能のお知らせ
こんにちは。ウィキペディアにご寄稿頂きましてありがとうございます。喜連川一色家さんが同じ記事に対して短時間に何度も投稿されているようなので、同じ記事への連続投稿を控えて頂くようお願いに参りました。
投稿する前に「プレビューを実行」のボタンを押すと、整形結果を先に見ることができます。これを使うことで
などを予めチェックし、修正してから投稿すると同じ記事への連続投稿を減らすことができます。この利点についてはWikipedia:同じ記事への連続投稿を減らすに説明があるのでよろしければお読み頂けると幸いです。また、Wikipedia:ガイドブックにウィキペディア全体のことについて分かりやすく解説されていますのであわせてお読みください。ご理解とご協力をよろしくお願いします。--ikedat76 2006年10月11日 (水) 15:27 (UTC)
[編集] 『大日本史料』などについて・・・
ノート:喜連川騒動でのご質問に可能な範囲でお答えしてみたいと思います。『大日本史料』という書物についてですが、まずは大日本史料およびこのページをご参照ください。特に後者は非常に判りやすい解説となっています。要するに『大日本史料』は編年体の体裁をとっており、その年月日にどのような事件があったのかを、各地に散在する厖大な史料を元にまとめた「史料集」のようなものです。ある年月日の事件の概要を記したものが「綱文」です。さらに綱文の根拠となっている史料の原文などが「按文」として記載されています。「綱文」は史料ではありません。史料を読み込んだ東大史料編纂所の研究者が書いたものです。
『大日本史料』の編纂は明治年間から連綿と続けられており、今も継続しています。編纂事業が完了するまであと千年かかるとも言われています。実を言いますと、喜連川騒動のあった正保・慶安年間の『大日本史料』はまだ編纂されていません。データベースに載っていた慶安元年12月22日の記事(綱文)は、『大日本史料』編纂のため明治年間に作られたメモ(『史料稿本』と言います)に過ぎず、その後、何らかの新史料が見つかっている可能性だってある訳です。ちなみに『史料稿本』の慶安元年12月22日の綱文の根拠となっているのは「人見私記」「万年記」以下の各史料です。『大日本史料』について大体お判り頂けましたでしょうか。
『大日本史料』なり『史料稿本』なりは史料集に過ぎません。我々ウィキペディアンが『大日本史料』『史料稿本』などを根拠とする際には、これらの文献に記載されている以上のこと、例えば『大日本史料』の綱文を元にウィキペディアンが独自の考察を加えるようなことを記述してはなりません。これはウィキペディアの信頼性を守るためです。もし、何らかの考察を記述するのであれば、それは自分の考察ではなく、専門的な研究者が論文などで示した考察でなければならないのです。
『喜連川町史』『喜連川町誌』の信頼性ですが、自分は現物を読むことができませんので何とも言えません。市町村史は概してレベルの差が大きく、史学研究の方法論を身に付けていない好事家が執筆されたものから、非常に高レベルの研究を残している歴史学者が執筆されたものまで、玉石混淆と言ってよいかと思います。ただ、一人だけで執筆した市町村史というものも無い訳でして、編・章・節ごとに別々の執筆者が分担しているのが通例です。『喜連川町史』についても、喜連川騒動の箇所を執筆した人が目次などに記載されているはずです。で、その人がどのような素性の方なのか、巻頭か巻末の執筆者一覧で調べることが可能だろうと思います。どこかの大学の教授とか助教授とか博物館の学芸員とかであれば、自分の勝手な憶測によることなく、広く史料を渉猟して史学研究の方法論に則った考察を加えている蓋然性が非常に高いですので、かなり信頼性が高いと言えます。もし地元の好事家が執筆している場合でも、一概に信頼性が低いとは言えません。脚注や参考史料・参考文献がふんだんに記載されており、検証に耐えうる内容であれば、信頼性は十分確保されていると考えて良いかも知れません。ここで重要なのは、とにかく信頼性の高い論文・文献に数多くあたるということです。『栃木県史』のご参照を勧めましたのも、ひとえにこの趣旨からです。
『史料稿本』の綱文と『喜連川町史』の記載が整合しない場合でも、『喜連川町史』が誤っているとは限りません。東大史料編纂所の人も知らないような信頼性の高い史料に基づいて『喜連川町史』が書かれている可能性だってある訳です。その辺の事情について、誰か信頼できる研究者が考察を加えていれば、安心してそれをウィキペディアに書くことができます。もしそのような考察が存在していなければ、ウィキペディアには「『喜連川町史』の記載によると・・・・である。一方東京大学史料編纂所の『史料稿本』には・・・とあり、両者の記述は一致していない点がある。」ということだけを書けばよいのでして、「物理的に考えるならば前説が正しいと思われる」「高家は、高師直の末裔のようだ」「高四郎左衛門と高野修理との関係が伺える」「2人の墓石を堂々と建立できる人物は誰であったのか」などのような独自の考察を書いちゃいけない訳です。喜連川一色家さんがここ一両日、喜連川騒動に執筆されている内容は、多分に喜連川一色家さん独自の考察が含まれているように思われますので、この点を自分はかなり危惧しておりまして、あえて言及させていただきました。
つらつらと申し述べてまいりましたけれども、ウィキペディアンの中でも喜連川騒動およびその周辺人物に最もお詳しいのは喜連川一色家さんだと拝察しております。実のところ喜連川騒動は興味を持って読むことができました。ただ残念だったのは独自の考察と思われる記述が非常に多かったことです。今後、独自の考察を加えないようご留意いただければ、より高質な内容になっていくと思います。それでは失礼いたします。--shimoxx 2006年10月11日 (水) 16:47 (UTC)
[編集] プレビュー機能のお知らせ
こんにちは。既に複数回にわたってプレビュー機能のお知らせを受け取られているかと思いますが、お読みいただいていますでしょうか。喜連川一色家さんが同じ記事に対して短時間に何度も投稿されているようなので、同じ記事への連続投稿を控えて頂くようお願いに参りました。
投稿する前に「プレビューを実行」のボタンを押すと、整形結果を先に見ることができます。これを使うことで
などを予めチェックし、修正してから投稿すると同じ記事への連続投稿を減らすことができます。過度に多回数の投稿はサーバに負担をかけ、閲覧される方・編集される方の快適さを損ねてしまいます。くわしくは、Wikipedia:同じ記事への連続投稿を減らすに説明があるのでぜひお読みください。また、Wikipedia:ガイドブックにウィキペディア全体のことについて分かりやすく解説されていますのであわせてお読みください。ご理解とご協力をよろしくお願いします。--ikedat76 2006年10月11日 (水) 15:27 (UTC)
- ご迷惑おかけします。プレビュー機能は、使用しているのですが、何分書きかけであること、私の文章能力のなさが原因です。極力、まとめて投稿変更を心がけますので、よろしくお願いいたします。
--喜連川一色家 2006年10月13日 (金) 15:28 (UTC)