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ノート:喜連川騒動 - Wikipedia

ノート:喜連川騒動

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

このページは一度削除が検討されました。削除についての議論はWikipedia:削除依頼/喜連川騒動をご覧ください。

目次

[編集] 閲覧者の方へ

  • 現在喜連川騒動、ノート:喜連川騒動に細かな訂正を含めた投稿を続けているIPユーザーは、すべて同一人物と推定されます。また、OCNの可変IPであるため、投稿時と修正時のアドレスが異なることがあるようです。従って、改竄ではないようですので、あらかじめお含み置きください。いい加減ログインするとかプレビューするとか覚えてもらえればいいんですが……--Doripoke 2006年10月7日 (土) 04:48 (UTC)


参考ページからのコピペ。--12425183 2006年9月12日 (火) 22:43 (UTC)

[編集] 記事内容について

  • とりあえず「喜連川騒動」google検索をしてみたところ、wikipedia、及びその転載ページ以外では、記事中に書かれている外部リンク(初版投稿者のページ)にしかヒットしませんでした。喜連川町誌をソースとしている旨が書かれているので、実際にあった事件(内容はともかく)であると推定されますが、記事内容が正確であるかどうかの担保は確認できませんでした。以上、よろしくお願いします。--Doripoke 2006年10月6日 (金) 11:58 (UTC)


  • 2006年10月6日 (金) 16:24 (UTC)から2006年10月6日 (金) 16:29 (UTC)までの加筆部分(私に対する個人的なコメント)を、利用者‐会話:Doripoke/喜連川騒動に移動します。なお、以降の個人的なコメントは私のノートまでお願いします。--Doripoke 2006年10月6日 (金) 16:43 (UTC)
  • 初期原文投稿者「喜連川一色家」より。記事内容については、喜連川町誌関係者にとって、共通事項ですよ。リンク先については、あくまでも「・・・一考察・・・・説」と表記しております。正確性については、事件当時の故人でなければ知らないことです。ここで、外部リンク先の正確性を問うのはどうか?と考えます。また、現投稿本文に「国家老」とゆう表記になっておりますが、私の表記では、ありません。喜連川藩の理解者としてはずかしい表記であることも知っております。喜連川藩のは、江戸屋敷はなく、当然江戸家老はおりませんので「国家老」もおりません。筆頭家老が正しいのですよ。--222.149.207.8 2006年10月7日 (土) 02:14 (UTC)
  • 初版では、「筆頭(国)家老」です。(国)は、喜連川藩のことに詳しくない方ように、あとから追加しました、これを「国家老」に改ざんしてしまうのは、良くないですよ。必ず意味がありますのであとから修正する方は一度「ノート」にて確認するのが筋ではないですか?と思います。どうも、この投稿事態が都合悪いとしか思えませんが?皆さん、この点もご考慮願います。ただ、闇雲に削除を狙うのではなく、ご本人の説を、外部リンクにして、どうどうと述べ、読者が判断することです。と考えるのですが、いかがでしょうか?営業的または本文と関係ないリンクは、ウィキぺディアの物理的負荷を増やすものであり、理念に反する物であり、あらし行為です。これは、管理者の方の判断で簡単に排除できる者ではないでしょうか?単に外部リンク=宣伝では、ウィキぺディアの存在意義が「ただで、見れる曖昧情報のデータベース化」の恐れがあると考えます。ある程度は、サイト管理者の方で判断いただけることをお願いいたします。--喜連川一色家 2006年10月7日 (土) 06:28 (UTC)
  • 以下に初版冒頭部分を引用します。強調は私が行いました。
 喜連川騒動とは旧喜連川町誌によると、正保4年(1647年)に3代喜連川藩主足利尊信
の時、初代喜連川藩主足利国朝公より約58年間に渡り国家老を勤めた喜連川一色家の当主
一色刑部らによる藩政乗っ取り事件とあります。
なぜでしょうか?以上、ご説明をお願いします。--Doripoke 2006年10月7日 (土) 06:49 (UTC)
  • あなたは、お子様ですか?修正途中のLOGを持ち出してどうするのですか?なにが目的なのですか目的を明確にしていただいきたいのですが?なんの関係も無い人物が、突然「削除依頼」を出された理由を明確にすれば、こんな会話をする必要もないかと思うのですが、ただ、外部リンクがあるから削除とゆうことにしか聞こえないのですが。参考文献も外部リンクでは、誠実に紹介しておりますよ。?もっとも、これを行わないとただの妄想記事になりますので確認ください。何度も堂々と言います。参考文献は、喜連川町史の「狂える名君」と喜連川町誌の「喜連川騒動の顛末」が基本文献です。全て、外部リンク内の内部リンクにて、一字一句違わず、紹介しております。それでも、信用いただけない方は、ご自分の足で栃木県さくら市喜連川支所図書館に行き、現物を確認ください。私の真面目な態度がご理解いただけます。ついでに、龍光寺の一色家の墓と専念寺の足利家側室の墓を確認してください。いいかげんなリンクを張ってはいないことも明確です。何かと、問題提議させるDoripokeさんは、県内の方ですので是非確認後に問題提議していただけると良いのですが?なんどいっても、誠実に、投稿本文の検証をしていただけないようです。ご自分で、喜連川町誌のある図書館県内12箇所、県立図書館、国立図書館にあることをご存知なら是非行動に移していただきたいものです。それが、問題提議者の義務ではないでしょうか?--喜連川一色家 2006年10月7日 (土) 09:51 (UTC)
  • 立証責任は、投稿者にあります。これはWikipediaの公式方針です。詳しくは、Wikipedia:検証可能性(←リンクになっています)をご覧ください、以上、よろしくお願いします。--Doripoke 2006年10月7日 (土) 09:47 (UTC)
  • あと、ログインが無効になっているようです。ログイン画面下の「セッションを越えてパスワードを記憶する」にチェックを入れると、ブラウザを閉じても、ログインが有効になります。以上、重ねてよろしくお願いします。--Doripoke 2006年10月7日 (土) 09:50 (UTC)
  • 追伸、喜連川町誌には、文献資料に「城代家老」とゆう表現がみられますが、これも正しくはありません。なぜなら、喜連川町誌の年表には、喜連川(川崎)城は、1614年に「山城は不便のため山下に館を設ける。川崎城の一部を引き取り館の用材に使用する。」と記述されております。城もないのに城代家老は、正しくありません。--222.149.207.8 2006年10月7日 (土) 02:50 (UTC)
  • 追伸、初心者であり、システムに不慣れのため自分の意見の追加修正さえ、改ざん扱いになっているようで、困窮しました。とりあえず「アカウント」取得をしました。以後、原本投稿者「喜連川一色家」は以下の通り、統一します。--喜連川一色家 2006年10月7日 (土) 04:42 (UTC)
  • 前回、Doripokeさん、ご指摘の「国家老」ですが、文の始めに「旧喜連川町誌によると」とゆう記述ではじまる関係上、喜連川町誌の記述で「国家老」という表現を使用していたためでした。実際のところ、この件でも解るとおり、当時の関係者達は、十分な喜連川藩の歴史を知っていない状態で執筆されているのです。最初は、筆頭家老であったはずです。--喜連川一色家 2006年10月8日 (日) 10:00 (UTC)
  • 追伸、喜連川町誌により、知りえたことであれば、同誌の執筆者の表現を崩さないのも礼儀だと考えたからです。あくまでも、項目の表現ですが。--喜連川一色家 2006年10月8日 (日) 10:07 (UTC)

筆頭家老であるということは間違いないのかな。なら「筆頭家老(原文は国家老)」とか。あるいは「国家老(町誌の記述による。制度上は筆頭家老であったと思われる)」とか。--Ks aka 98 2006年10月8日 (日) 10:14 (UTC)

  • 正直な話、私も悩んでいるのです。喜連川町誌の天保十三年の資料(藩内の役責家禄の取り決め)によると、「国老」・若家老・参政・中老の順なのですが、何分原文「古文書」写真ではなく、編集された資料であり、信憑性が乏しいのです。幕府により大名家の家臣の役責が固定して決められていたような資料があれば確信できるのですが、知識が少なく探せないのが原状です。初代足利国朝と喜連川に向かった家臣として足利家の家老格の家臣は一色下野守刑部の他に高(こうの)修理頭がいたはずなのですが、文禄三年(1594)の年表記述には、「国朝の遺臣等上総より来る。一色下野守・堆津下総守(後の二階堂)等二十四名」となっており、一色家の筆頭は、確認できます。堆津下総守は、里見家資料では、「堆津 某」と記録されており重要視された記述ではないようです。高家は、足利本家代々の家老の家格ですが、絶えたか離脱したと考えるしかありません。高師直の子孫だと考えられますが。喜連川入国時にはいなかったのでしょう。40名の国朝の家臣が入国時には、24名ですので、ここにも謎がのこります。しかし、筆頭の家臣であることはここでも伺えます。長くなりましたがいまだ考慮中です。事件のヒーロー老臣高野修理が氏名を変えた高(こうの)修理頭であれば、御弓系家臣の古河への一部編入など、古河系家臣の陰謀説がさらに、信憑性をおびてくるのですが。--喜連川一色家 2006年10月8日 (日) 14:43 (UTC)
  • 追伸、なにしろ、現さくら市においても、喜連川騒動記述に関する古文書は全て未公開なのです。事件に関わらない古文書のみ、新喜連川史にて写真資料として公開されているとゆうありさまで、困窮しているのが原状です。ですから、投稿本文には、共通事項しか記述できないと考えております。--喜連川一色家 2006年10月8日 (日) 14:53 (UTC)

うん。えーと、日本史詳しくないんであれなんですが、「喜連川藩のは、江戸屋敷はなく、当然江戸家老はおりませんので「国家老」もおりません。筆頭家老が正しいのですよ」というのが一般に正しいのだとすると、「資料には「国家老」とある、けど、それはおかしくて、それ以上の資料は未公開なので確認できないけど、筆頭家老というのは間違いない」ということが、現段階での「事実」なので、そういうことがわかるように書けばよいと思います。上で挙げた例は、そのつもり。わからないことを、どっちかに決定しようとするのは、ウィキペディアではやるべきではない、と。--Ks aka 98 2006年10月8日 (日) 15:02 (UTC)

  • いろいろ、ありがとうございます。「太平記」を読むと高家・桃井家などわかりますよ。本題ですが、さくら市でトップシークレット扱いなので、やもなく「筆頭(国)家老」と記述し、よけいな説明により、本文が複雑になるのを防ぐとゆう考えもあるのですが?いかがなもんでしょうか?--喜連川一色家 2006年10月8日 (日) 15:18 (UTC)

[編集] 投稿本文の検証について

  • 本文投稿者「喜連川一色家」より。投稿本文の検証は、ネット検索ではなく、栃木県さくら市喜連川支所図書館にて一般公開されている文献、喜連川町史の「狂える名君」&喜連川町誌の「喜連川騒動の顛末」と「年表」を実際に参照コピーして持ち出され、私の文章と対比することを是非お願いします。その上で、本文の修正が行われたのなら公正な処置と考えます。しかし、投稿本文を編集変更されたようですので、公正な処置とは思えません。喜連川町誌の「年表」には、「文禄3年(1594年)国朝(くにとも)の遺臣上総よりくる。一色下野守・堆津下総守(後の二階堂)等24名」と記されております。藩祖足利国朝公より3代藩主尊信公まで国家老を勤めたことは、明白です。家格で考ても、一色家・高家・堆津(二階堂)家の順になります。まじめに、投稿している人間に対しては、実際の足をもって調査した後に編集変更をするべきではないでしょうか?この2冊は、さくら市の手中にありますので、旧喜連川町の人間により証拠隠滅の危険さえあるので、あえて証拠のある内にと投稿しました。よろしくご検討のほど、お願いいたします。--60.39.68.54 2006年10月6日 (金) 17:11 (UTC)
    • この発言は一度IP:222.149.207.8会話/履歴によって改ざんされました。[1] ― TETRA 2006年10月7日 (土) 03:04 (UTC)
  • 本文投稿者「喜連川一色家」より。私本人による修正です。--222.149.207.8 2006年10月7日 (土) 03:22 (UTC)
  • 本文はwikify程度しかしていませんが。詳しくはページの履歴でご確認ください。--Doripoke 2006年10月6日 (金) 17:24 (UTC)
  • 付記になりますが、証拠隠滅のご心配をされている『喜連川町誌』ですが、栃木県立図書館をはじめ、栃木県内の12館に所蔵されています。また、(当然ですが)国立国会図書館にもありますので、少なくとも証拠隠滅の心配はないみたいです。以上、ご安心ください。--Doripoke 2006年10月6日 (金) 17:31 (UTC)
  • 「喜連川一色家」それは、知りませんでした。ありがとうございます。--60.39.68.54 2006年10月6日 (金) 18:19 (UTC)
    • この発言は一度IP:222.149.207.8会話/履歴によって改ざんされました。[2] ― TETRA 2006年10月7日 (土) 03:04 (UTC)

*それは、「新喜連川史」のことを言われているのではないでしょうか?--喜連川一色家 2006年10月7日 (土) 07:02 (UTC)

  • いいえ、間違いなく「喜連川町」のことです。栃木県立図書館には1977年版と1911年版(1977年版はこの版の翻刻です)が所蔵されています。http://www.lib.pref.tochigi.jp/soumoku/soumoku_top.htmなどでお調べください。--Doripoke 2006年10月7日 (土) 07:12 (UTC)
  • 「喜連川一色家」より。私のリンク先では、「捏造」などとゆう犯罪性の高い表現は、一切一字とも使用しておりません。あくまでも「歪曲」とゆう表現にとどめております。本文中の誰かの「捏造」とゆう表現は、誤解を招くものであり、やめていただきいたい。「捏造」と「歪曲」の意味を国語辞典で調べてみてください。あれは、私の記述ではないことを広くお伝えします。--60.39.68.54 2006年10月6日 (金) 18:33 (UTC)
  • 「喜連川一色家」より。本文頭部分、現在変更「不可」になっておりますが、Doeipokeさんより変更された、ようですが。あまりご存知でないようです。喜連川一色家は、あくまでも藩祖足利国朝から3代尊信までの約58年を筆頭家老を勤めております。上総御弓御所から考えねばなりません。また、喜連川家は10万石格の参勤交代を免除された大名ですので、江戸屋敷はありません。よって、一般大名家のように、江戸家老はいませんので、「国家老」とゆう役責は存在しないのです。変更者または管理者の方、元の私の文章にもどしてください。事件の背景を正しく伝える上で大変重要な要件で歪曲された状態です。このままでは、百科事典としての文献としても疑われる記事となります。--222.149.207.8 2006年10月7日 (土) 00:47 (UTC)
  • 変更不可ではありません。Wikipedia:編集の仕方よく読んで加筆してみてください。なお余談ですが、記事中に自分のホームページを貼り付ける行為は、宣伝と見なされ、嫌われる傾向があるようです。実例として、ノート:ウルフファング辺りをご覧ください。
  • ところで、利用者‐会話:12425183に、初版投稿者として、以下の記述がありますが、これは「検証不可能」であることを自ら公言しているものであると判断してよろしいでしょうか。そうであれば改めて削除依頼に提出したいと思います。
よろしく、ご理解のほど、お願いいたします。喜連川騒動にかかわる記述は、
旧喜連川町発行の「喜連川町史」・「喜連川町誌」と私の「喜連川騒動における一考察」以外は、
現在のところ存在しないはずです。

以上、よろしくお願いします。--Doripoke 2006年10月7日 (土) 04:48 (UTC)

  • ですから、皆さんに同町の2冊を検証いただき、私の説と比較していただきたいと、どうどうと

明記しているのです。だれが読まれても、中立的立場で検証すれば明らかなことです。以後「喜連川一色家」は「アカウント」取得により以下のように統一します。削除依頼者(Doripokeさん)は、明らかに、喜連川町関係者のようです。誠実に検証ください。--喜連川一色家 2006年10月7日 (土) 05:10 (UTC)一部強調--Doripoke 2006年10月7日 (土) 05:25 (UTC)

私も他人の説明等を中々理解できないことが往々にしてあります。Wikipediaでは、記事が真実かどうかの追究には頓着していない事とか、最新の研究結果をいち早く世間に知らるつもりは全く無い事とかを、言葉を変えて、文章を変えて、繰り返し説明するべきです。相手が聞く耳を持っている間は。202.233.244.22 2006年10月7日 (土) 06:26 (UTC)
  • そうなんですか?私は、公的文書の修正を間接的に促すことも出来る、画期的なすばらしいサイトであると考えていました。史実に頓着しないのなら、なぜ、本文の「削除依頼」やら「検証依頼」やら「中立性の確保」などの機能が存在し、投稿者を困窮させるのでしょうか?本当にその通りなら残念です。しかし、世の中なんでも、取り決めに書いてあることは、あくまでも目安であり、判断は、サイト側の経営理念判断になるのではないでしょうか?本当に、そうであるなら私にとって、新しいビジネスチャンスを見つけた気分です。 私の理念とするサイトが無いのなら、私が立ち上げれば良いだけですよ。--喜連川一色家 2006年10月7日 (土) 06:53 (UTC)
  • それをわかっていただくために、あなたに呼びかけていたわけです。残念ながらWikipediaは「正義のための存在」ではないのです。
  • このままですと、あなたの主張が原形をとどめなくなるおそれがあります(ご覧の通り、Wikipediaは「誰が編集してもいい」わけですし、初版投稿者であっても、Wikipedia:著作権に従う必要があります。ややこしいのでリンク先をご覧ください)ですので、ここはこの記事を「検証不可能」という形で、Wikipedia上から削除し、他人の偏見が入らない場で、改めて「正義」を行う必要があると考えます。
  • 幸いにして、この記事の編集は、私のwikify(Wikipediaの書き方に合わせる)以外、喜連川一色家さん記述しか存在しません。あなたからの削除依頼に不都合があれば(喜連川一色家さんには、ログインから日が浅いので賛否表明権がありません)私が変わって削除依頼を行いたいと思いますが、いかがでしょうか?以上、よろしくお願いします。--Doripoke 2006年10月7日 (土) 07:04 (UTC)
  • あなたとは、話がかみ合わないようです。サイト管理者の方の判断を仰ぎます。よろしくお願いします。--喜連川一色家 2006年10月7日 (土) 10:07 (UTC)
ウィキペディアにはいわゆる「管理者」というのはいないです。Wikipedia:管理者は削除、保護などの機能が使えるだけで、一般ユーザーと同じ立場です。議論が紛糾したときはWikipedia:コメント依頼を利用するのがよろしいかと。--Calvero 2006年10月7日 (土) 10:19 (UTC) もう出されてましたか、失礼しました。--Calvero 2006年10月7日 (土) 10:37 (UTC)

はじめまして。これまでのノートを読みましたが、どうも喜連川一色家さんがウィキぺディアに不慣れなために損している気もします。残念ながら栃木県から遠くて原本を確認できないので、教えてください。

  1. 「経緯」は喜連川町史・喜連川町誌の内容に基づいていて、「疑問点」はそれ以外の研究成果と理解しましたが、それで良いですか?
  2. その場合、喜連川町史・喜連川町誌と同じ文章を使うと著作権違反になりますが、同じ文章は使っていませんか?
  3. また、「経緯」の内容には、喜連川町史・喜連川町誌に無い内容を追加しましたか?

--Coleus 2006年10月7日 (土) 08:22 (UTC)

  • ありがとうございます。すべて、前回のDoripokeさんの提議された「削除依頼ノート」内でクリアされております。どうも、あらし行為者に、遊ばれている気分です。ただ、削除したいと言う意志しか感じられません。ウィキぺディアの機能を利用して遊んでいるようには、みなさん感じられませんか?--222.149.207.8 2006年10月7日 (土) 09:43 (UTC)
  • いつのまにか、登録したはずの署名まで変換されなくなりました?「喜連川一色家」です。署名には時間制限でもあるのでしょうか?--222.149.207.8 2006年10月7日 (土) 09:47 (UTC)
ログアウトした状態になっているためでしょう。ログインするときに「セッションを越えてパスワードを記憶する」をチェックしておけば、自動的にログアウトしなくなります。--Calvero 2006年10月7日 (土) 09:51 (UTC)


(コメント依頼から来ました)読んでみました。全部は読んでませんが、初版からいくつかは拾い読みしました。記載されている事実関係について、およびこの騒動が百科事典の項目としてふさわしいかどうかについては考慮しない事とします。。

既に「喜連川町史」・「喜連川町誌」の参考文献が挙げられています。本文には、「喜連川騒動における一考察」にある考察は、あまり記述されていないようです。検証可能性は、上記文献を挙げていただいている事で問題なさそうですし、中立的観点としても、あくまで町史・町誌の内容を主として書かれています。「一考察」をそのまま載せれば「独自研究」ですが、今の記述は独自研究にも当たらないと思います。

Wikipedia:独自の調査Wikipedia:検証可能性Wikipedia:中立的な観点は、それぞれウィキペディア独自の方針ですので、項目名から想像する内容とは微妙に意図する方針が異なっています。お手数ですが、ご確認下さい。

「喜連川騒動における一考察」は、(最近加筆があったようですが)今読んだものは、出典も記されていますし、既存の記述を元に他の資料で検証しながら自分の論を組み立てていて、特定の偏った観点に基づいて記述されたものではないと思いました。体裁としては、地方史の資料として十分な考察と思いますが、ウィキペディアでは、公開されている媒体上、信頼できる資料とはみなせない点を喜連川一色家さんはご理解下さい(ご理解いただいているようでもありますが)。

既に指摘があるように、ウィキペディアは正義のためのものではありません。「公的文書の修正」を目的とするのであれば、他の定期刊行物などで専門的な方々の検証を経て公的文書を正しく修正するか、ご自身のHPなどで意見を述べることが望まれます。

しかし、当該内容についての研究機関が存在せず、またこれを対象とする研究者がごく限られている場合で、公的文書に矛盾があり、他の資料によって論理的にこれを補える場合、公的文書の記述をそのまま掲載するよりは、慎重に矛盾を指摘し、他の研究の存在を示す事はあってもよいと考えます。

以後の加筆では、まず町史・町誌にある「喜連川騒動」が、どのようなものか、近郊に住んでいない人にも判るように記述を充実させて欲しいと思います。また、町史・町誌には物語として書かれているとありますが、「言い伝え」として存在しているのか、史実をわかりやすく物語化しているのかはわかったほうがいいかもしれません。

その町史・町誌の記述に明らかな矛盾がある事は、指摘するべきでしょう。その矛盾点が資料を当たっていない人にも判るよう、また著作権を侵害しないよう留意して指摘してください。また、資料や研究が少ないのであれば、「喜連川騒動における一考察」のリンクを張る事も必要かと思われます。ただし、「一考察」にあるように矛盾を解き明かす過程を詳細にウィキペディアで述べる事は百科事典的ではないと思いますので、ほどほどにしていただければと思います。

文体は、改めていただけるとよいかもしれません。一般的な百科事典の、都市や国の項目の中に歴史に関する節などを参照してみてください。

というわけで、喜連川一色家さんには、引き続きウィキペディアの方針を外れることなく加筆いただけるよう、Doripokeさんにおかれましても、引き続き不慣れな投稿者に優しくウィキペディアの方針を理解していただくための活動を期待します。

--Ks aka 98 2006年10月7日 (土) 10:24 (UTC)

[編集] 研究の元となった史料の存在について

本件のソースについて、Ks aka 98さんは『喜連川町史』・『喜連川町誌』で十分とおっしゃっていますが、当該の先行研究は、研究の下敷きとして何を根拠史料に使ったのでしょうか。このくらいの事件規模があれば、幕府方が書類を残して『徳川実紀』あたりに言及がありそうですが、当該記事の本文及びノート、また本文中の外部リンクのWebページにもその旨記載がありませんでした。そのあたりをまず教えてください。

喜連川一色氏さんへ。本件のように知名度のない事件については、先行研究だけではなく「そもそも同時代史料のどこに事件が記されていたか」を記し、まず事件自体の実在を明らかにしてください。また、確かにウィキペディアは自由な投稿が可能ですが、記事自体の立証責任の一切は投稿者にあり、立証できなければ削除されるのはやむをえないということもご確認のうえ、もう少し本記事自体の根拠づけをお願いします。また、これに関連しますが外部リンクとして挙げられているご本人(と思われる)のウェブサイトの内容ですが、現時点では外部リンクとするにはやや内容薄弱と思われます。墓碑などではなく、文書史料などをご自分で渉猟したうえで論拠とすれば、もっと信用の増す内容になりますよ。Aboshi 2006年10月8日 (日) 15:23 (UTC)

ええっと。いずれも喜連川町による出版ですので、Wikipedia:検証可能性としては十分だと思います。タブロイド新聞のような「信頼性に乏しい情報源」、自費出版物、個人のウェブサイトやブログのような「自主公表された情報源」ではありませんし、「自主公表された情報源:公式サイト」とも異なります。
編集者が、例えばニューヨーク・タイムズの記事の中身が真実かどうか検証する責任があるという意味ではありません。実際のところ、編集者はその種の調査をしないよう強く求められます。なぜならウィキペディアでは独自の調査を発表はしてはならないからです
という観点から見れば、先行研究の根拠を問い直すこと自体は求められていないと考える方がよいかと思います。立証すべきは、『喜連川町史』・『喜連川町誌』を参照しているということであって、『喜連川町史』・『喜連川町誌』に書かれている事が真実かどうかではありません。
それを踏まえた上で、Aboshiさんの助言にあるように信頼の出来る同時代的な資料に関連する記述を求める事は、より信頼性を増す事として推奨されます。--Ks aka 98 2006年10月8日 (日) 17:23 (UTC)
  • 皆さんの、ご助言ありがたく読ませていただきました。「徳川実記」ですか。是非調べて見たいと思います。しかし、手元に「徳川実記」がないのです。よろしければ、手に入れる方法などありましたらご助言いただけるとありがたいのですが。やっぱり、国立図書館ですかね?なかなか、行けるところではないので少々手間がかかりそうです。--喜連川一色家 2006年10月8日 (日) 18:54 (UTC)

吉川弘文館から出てるので、県立図書館クラスまたは地域の中央図書館クラスでもあるんじゃないかと。最寄りの図書館で協力貸し出しで何とか出来ると思いますし、15冊揃いで古本で買っても4万くらい。--Ks aka 98 2006年10月8日 (日) 19:34 (UTC)

Ks aka 98さんへ。今回私が先行研究が利用した元の史料を求めるのは、『喜連川町史』『喜連川町誌』自体が地方郷土史研究家による作品の可能性が高いことにあります。一般的に町史などに掲載された論文は掲載大学の紀要に掲載された論文などと異なり、執筆者の論文の質および一定の査読を経ているかどうかが極めて怪しいものが多いです(もちろん例外もあります)。確かに当方には著作に対する批判権限はありませんが、著作物の質は判別しないと先行研究が少ないものなどはトンデモ論が大手を振ってまかりとおるリスクが発生します。ウィキペディアのルール以前に、それは避けなければなりません。
それにしても本件、町史以外に先行研究はないのでしょうか。本文を見る限り幕府を巻き込んだそれなりの規模の事件でプロの研究者が取り組んでいそうなものですが。Aboshi 2006年10月9日 (月) 00:43 (UTC)
  • そうなんですよね。なんか、割り込んでしまってすみません。なかなか、それが見つからないのです。TVドラマ「遠山の金さん」のストーリで採用されたことがあるのですが、万姫が「お雪」だったですかね。江戸町奉行の就任履歴等の資料をみますと時代も異なりますし、話的には、喜連川町誌を参考に作られたようで、これがメジャーになってしまっているようです。マスメデアの力には敵いません。だれか、ご存知の方がいれば良いのですが。それと、Ks aKa 98さん。情報ありがとうございます。自分で望んだ訳でもないのですが、公的な仕事もあり、自分の仕事もあり、基本的には休みなしの状態でなかなか時間がかかってしましそうですが「徳川実記」での検証試みてみます。なにぶん、初執筆、初投稿で、どこまでかくべきか、かくべきでないのかなど右往左往しているのが原状です。投稿内容としては、ほぼ織り込んだところです。今後とも皆様のご助言よろしくお願い申し上げます。--喜連川一色家 2006年10月9日 (月) 01:29 (UTC)

>Aboshiさん 喜連川町に限定するわけではなく、一般に地方史関係は信頼性への疑問や学問的手続が十分ではないものが混じっているという点については認識しています。紀要だってどこまで信頼できるものだか。ところが、ウィキペディアのルールでは、地方自治体が出している出版物を情報源としている以上、たとえ真実ではなくても、それを書くべきであり、正しい歴史であっても発表されていないものを書くのであれば、ウィキペディアではなく、まず他の信頼できる媒体で発表しなければなりません。そうでないと、執筆者がトンデモ説をウィキペディアで発表する事を止められないということになってしまいます。したがって、他に論文などがあればいいのですが、見つからない場合は、『喜連川町史』『喜連川町誌』に従った記述をし、その矛盾を指摘し、その後出典を示しながら論理的にそれを修正していくという記事にせざるをえないと思います。それでも「独自の研究」と言われるかもしれませんが、妥当な記述であれば削除はされないと思います。 >喜連川一色家さん 今メンテ中なんですが、国会図書館のHPで、雑誌記事検索というのがあります。あと近代デジタルライブラリ。そこで思いつくキーワードを放り込んでみてください。雑誌記事検索は、登録すれば複写申請すれば郵送してくれますし、近代デジタルライブラリは複写画像をそのまま見る事が出来ます。(書名忘れ:追記)--Ks aka 98 2006年10月9日 (月) 08:42 (UTC)


喜連川藩は城持大名ではなく陣屋大名なので、やはり城代家老はおかしいように思います。また徳川親藩ではなく外様大名と思いますが、いかがでしょうか。 なお、喜連川藩は高家大名でしょうか?よく知りませんのでお教えください。--寂華 2006年10月9日 (月) 08:15 (UTC)

  • その辺の所は、私の独自研究文書ですが外部リンクの「喜連川騒動の一考察・・古河系家臣団の陰謀」に記述させていただいております。概要としては、幕府を開く為には、「征夷大将軍」の地位を天皇から許されなければならないのですが、条件として源家の親族でないと難しいとゆう、古来のしきたりがあったのです。しかし、徳川家は、源氏ではないことは、多くの戦国大名の知るところでした。そこで、実力では、NO1の徳川家康は、家系を詐称して天皇に武力で「征夷大将軍」の地位をもらったのです。そして、特に前室町将軍家である足利家の親族を高家旗本などに優遇したのです。特に喜連川足利家は、その足利家の直系であったので、特に徳川家の親族大名扱いとすることで、徳川幕府の安泰の基礎作りのための、一つの方策としたのです。たしか、江戸城内では、当時の御三家「紀州」「尾張」「駿河」の次で「水戸家」と同格の席順でした。ですから外様ではないのです。多少おおざっぱですがこんな所です。ご参考になれば幸いです。 それと、国会図書館のホームページの件、ありがとうございます。皆様のご好意ありがたく感じております。メンテ終了を待ち、ものにしたいと思います。オークションでも販売されているようですが、3万円~10万円と言うことと、現在、出品がないことで、これも出品待ち状態です。--喜連川一色家 2006年10月9日 (月) 14:49 追記(UTC)--喜連川一色家 2006年10月10日 (火) 09:17 (UTC)
余計ながら少し。『徳川実記』につきまして、ご存知であれば大変恐縮ですけれども、徳川幕府の歴史を編年体にまとめた一見すると無味乾燥な書物です。『続日本紀』をイメージすると判りやすいと思います。非常に厖大な量になっており、現在普及している刊本で言えば、『国史大系』(吉川弘文館)の第38巻~第47巻に当たります。幸いなことに、『国史大系』は県立図書館や大きな市立図書館なら大抵所蔵しています。(栃木県立図書館にも所蔵されてましたよ。)
ついでに東京大学史料編纂所データベースの「大日本史料総合DB」にて「喜連川」で検索したところ、喜連川騒動らしき事件の綱文(慶安1年12月22日付け)がヒットしました。当該事件に係る史料(『人見私記』『万年記』『慶安日記増補』『慶延略記』など)も示されています。ひょっとすると『徳川実記』の慶安元年12月22日条に何らかの記述があるかも知れませんね。すぐ下でAboshiさんも仰ってますが『栃木県史』も参照しておきたいところです。県史レベルであれば、専門の研究者(○○大教授とか)が執筆していることが通例ですから資料としての信頼性がグッと高まります。何かのご参考になりましたら幸いです。--shimoxx 2006年10月10日 (火) 18:21 (UTC)
Ks aka 98さんのご意見、ありがたく読ませていただきました。こういったルール的なことへのものの考え方は私はとても苦手で、勉強になります。とっても正直に申し上げますと、そこまで裁量を奪われると逆にリスクが発生するのでは」と反発を覚えているところですが、恥ずかしながら反論するほど理屈が固められないので私自身しばらく悩むことにします。ただ、この件については本来の話題からずれますので、やめにしましょう。
話を戻して、実は当該事件の存在自体については木村礎他編『藩史大事典』(1989、雄山閣)の喜連川藩の項に書いてありました。ただ、やはり参考資料を見ると『喜連川町史』とありはしたのですが・・・そこには喜連川藩全体の参考資料ながら『栃木県史』なども他に参考文献として掲載していました。入り口としてですが、『藩史大事典』を参照してみるのもいいかもしれません。Aboshi 2006年10月10日 (火) 14:06 (UTC)

資料調査お疲れ様です。ま、ぼくもこれをがちがちに適用するのがいいと思っているわけではありません。まあ、ウィキペディア用語の説明と思っていただければ。まあ目安。逆に、多少信頼できなくても出典さえ示せば書くことはできたり、とか。要は、説得力があればいいってことで、説得力を増すためには検証できる資料を重視しましょうよ、くらいのことと思って、執筆をがんばってください。--Ks aka 98 2006年10月10日 (火) 14:18 (UTC)

  • 皆さん、暖かいお言葉と情報ありがとうございます。大変励みになっております。ところで、東京大学のデータベースを教えていただいた通り、検索させていただきました。「徳川実記」の記述まで確認できておりませんが、近世編年データベースの喜連川騒動の記述には驚かされました、事件のヒーロー高野修理は、高修理頭ではないかと疑っていたのですが、その可能性が大きくなりました。大島に流されたのは、高四郎左衛門等でした。たぶん、「高修理頭四郎左衛門」が高野修理の本名のようです。すなわち、喜連川町誌と喜連川町史のヒーロー高野(こうの)修理が大島に流されたとゆうことですかね。これが本当なら、とんでもない歪曲&捏造の可能性があると言うこと、私の説の可能性まで大きくなってきました。がぜんガンバリます。本当にありがとうございます。--喜連川一色家 2006年10月10日 (火) 19:28 (UTC)

その勢いで、この項目だけにこだわるのではなく、関連する用語や人物の項目にも手を付けたりしてみてくださいな。--Ks aka 98 2006年10月10日 (火) 20:06 (UTC)

  • ありがとうございます。ところで、「資料綱文」と書いてあったのですが、専門用語のようで?どういったことなのでしょうか?目次の項目みたいなものだとよいのですが、なにぶん喜連川町誌の評定記述じたい、信用ならないようで、困惑しています。--喜連川一色家 2006年10月10日 (火) 20:21 (UTC)
喜連川一色家さんのノートへご返事してみました。--shimoxx 2006年10月11日 (水) 16:47 (UTC)
  • 「綱文」の意味大変わかりやすく教えていただき、ありがとうございました。また、ご指摘の点を修正してみました。いかがでしょうか?、それと、「栃木県史」に目を通してみましたが、事件についての記述はなかったようです。あまり、こういった事件記述は、編集対象になっていないようです。「寛政重修諸家譜」については、日光市日光支所図書館にあるようですが、古文書本体であり、現在修理中であり、閲覧できないようです。なんとか、事件記述の中身を知りたいのですか、以前困窮中です。他の史料がネット上に公開されていればよいのですが?--喜連川一色家 2006年10月13日 (金) 06:58 (UTC)
う~ん、現在の喜連川騒動#補足の節を読む限りでは「綱文」の意味をまだ十分にご理解されてないようですね(^_^;)。とりあえず「補足」の節を修正しておきました。
今日、仕事帰りに図書館でいろいろ調べてみましたので、以下に報告してみます。
史料
(書名)
所蔵機関
人見私記 国会図書館、内閣文庫
万年記 国会図書館、内閣文庫、東京都公文書館
慶安日記増補 内閣文庫
慶延略記 内閣文庫
寛明日記
(寛明事績録)
国会図書館、内閣文庫
寛政重修諸家譜 国会図書館、内閣文庫、その他多数
足利家譜 東京大学史料編纂所
及聞秘録 (調べてません)
まず『徳川実記』(国史大系40巻)を調べてみました。慶安元年12月22日条に喜連川騒動関連の記述はありませんでした。同年7月3日条に「喜連川尊信が病に伏せったので、老臣が手配し、松平忠次の家医である関卜養に治療をさせた」という内容の記述はありましたが、図書館閉館まぎわでしたので、それ以上のことは調べきりませんでした。
大日本史料DBの綱文(慶安1年12月22日2条)の典拠となっている史料についても調べてみました。右表のとおりです。原史料に当たるには、どうやら国会図書館・同館内閣文庫に行くのがデフォルトっぽいですね。まあ、ご参考になれば幸いです。
『藩史大事典』と『栃木県史』も見てみました。確かに『栃木県史』に喜連川騒動のことは書いてませんでした。ですので『藩史大事典』の喜連川騒動の箇所は『喜連川町誌』を典拠としている可能性が高いように感じられました。
話は変わりますが、喜連川騒動に関してまとまった考察を加えている文献は、現在判明している範囲では『喜連川町誌』『喜連川町史』しかないようです。ですので、結局、両書の喜連川騒動関連の箇所がどれだけ信頼できるかってところがポイントなのだろうと思います。「喜連川騒動の顛末」(『喜連川町誌』)と「狂える名君」(『喜連川町史』)にはそれぞれ執筆者・参考史料・参考文献などの情報が書かれてあるハズです。これらの情報こそ文献の信頼性を担保するものですので、もしこれらの情報が書かれていなければ、信頼あたわない文献として取り扱っても全く構わないという気がしています。(自分は密かに、『喜連川町誌』はある程度信頼できそうだけど、『喜連川町史』の方はだいぶキツイよなあ、という予断を抱いてますが、果たしてどうでしょうか。)
あと、余計なことですが、歴史の真実ってのは一つだけでないことにも留意しておきたいものです。『歴史とは何か』(E・H・カー、岩波文庫)にはそのことがとても判りやすく書いてありますのでオススメです。
とりあえず、本項目が徐々に良い方向へ向かっていることは確かだと思いますので、今後に期待しています。--shimoxx 2006年10月13日 (金) 18:19 (UTC)
  • お忙しい中、いろいろ情報をいただきありがとうございます。「(新)喜連川町誌」については、以前、現さくら市の編さん委員の方と名紙交換した時、喜連川騒動事件の記述は「喜連川町誌」1977年編さん版をそのまま移行した形であると聞いていたので、確認しておりませんが、1977年版では、当然そのことは気になる所でしたので、確認しております。しかし、文献の最後に、私のページで紹介しているまとめた形での紹介でしかなかったはずです。来月また法事で喜連川に行きますので、再度確認してみます。たぶん99%近く、この騒動記述の筆者は、明記されておりません。それと、投稿本文の補足部分ですが、やはり高家(こうけ)の記述ですが、姓名を連ねる時は(こうの~)とよむことが正しく、「高野修理」との関連性は、明記しないまでも「におわす」ていどなら、文面的に、百科事典としておかしくない程度に、記述することは、必要かと思いますので、また異なる表現で追加してみたのですがいかがなものでしょうか?--喜連川一色家 2006年10月14日 (土) 08:44 (UTC)
高四郎左衛門と足利尊氏執事の高師直一族とについてですが、その関連性に言及した論文・文献がない限り書いてはいけない、と言いたいところなのですが、そこまで言ってしまって良いものかどうか、逡巡する気持ちも少なからずあります。どっちにしろ自分は『喜連川町史』『喜連川町誌』を閲覧することができませんので、判断しないでおきます。--shimoxx 2006年10月14日 (土) 12:11 (UTC)
  • Shimoxさんへ、「徳川実記」の件ありがとうございます。重要な情報をいただいてたようで気付かず、すみませんでした。ここ記述は、喜連川町誌の記述にある幕府御上使が喜連川に向かった慶安元年7月11日の8日前の記録です。喜連川町誌では、幕府御上使の目的は、3代尊信が「正常」か「否か」を確認することでしたので、8日前に治療の記述が幕府公式文書に記録されたことは、この御上使の本来の目的が伺い知れるものです。この点、改めて御礼申し上げます。また、幕府が喜連川騒動事件を「徳川実記」に記録していないこと、ここにその不自然さが感じられます。意識的なものであったかもしれませんね。--喜連川一色家 2006年10月22日 (日) 01:21 (UTC)
  • 喜連川町史(明治44年版)「狂える名君」の出所が判明しました。喜連川騒動における5人の同心の子孫、高塩家の文書が元でした。書かれた時期が幕末の二階堂政権下のものであり、記述内容の信憑性は無いと思われます。先祖の失敗をそのまま残す訳もなく、本来の足利家直系の藩主は、4代足利昭氏までで、以後は他家からの養子藩主ばかりであり、事実を知るわけも無く、しかも一色家のいない藩内では歪曲は思いのままであったと思われます。歴代の国老を勤めた二階堂家により、都合の悪い藩内資料の歪曲や廃棄など思いのままの時代が続いていたといえます。

しかも、喜連川騒動を示す資料はこの高塩家文書のみであり、しかも、喜連川町誌(昭和52年版)の「喜連川騒動の顛末」は、当時の歴史保存研究委員と教育長を勤めた故高塩氏と故高野氏(実名は伏せます)により執筆されており、現編纂委員会の担当者に確認したところ、「喜連川町誌は、歴史書ではなく有志により自由に書いてもらった文献であり確証するものではない。」ということでした。

本年4月に発行される、最後の喜連川町史(近世版)には、この高塩家文書の原文がのせられています。現編纂委員会としては、「喜連川町に残された古文書の一つとして紹介するまでのものであり、記述内容の信憑性は問わないスタンスである。」とのことでした。しかし、一般人には、そのまま受け取るしかなく困窮するのみです。OBを悪者にはしたくないということのようです。

多くの地方歴史書のいいかげんさを思い知らされた一日でした。---喜連川一色家 2007年3月31日 (土) 08:28 (UTC)

[編集] 今後の喜連川騒動の編集について

皆様のご協力を持ちまして、喜連川騒動の史実についての編集は大方終了したかと思います。

今後は、なぜ喜連川騒動が起きたのか?と言うテーマをもって史実の追求調査し、この喜連川騒動ページに追記して行きたいと思います。

そもそも、元をたどれば喜連川藩の重臣たちは、足利高基と足利義明兄弟の古河公方家家臣であり、それぞれが関東地方に所領を持つ豪族達であり、鎌倉公方家・古河公方家を補佐する御奉公衆といわれ、関東公方家から所領を貰った者達ではなく、いわば日本の太古の昔にあった大和朝廷のような形態であったかと思います。

即ち関東公方家は、武力で関東地方の豪族を従えたのではなく、関東地方の豪族は、天皇家を中心とした朝廷の武家として第一の臣とした足利家に連なることで、自分達の所領と権力を保持することを望みのこ上、関東公方家を始めとする組織が出来上がったと考えます。

しかし、関東公方家は、戦国時代と言う時代の変動により、鎌倉公方から古河公方、小弓公方そして、喜連川足利家と所領・権力は縮小しましたが、江戸時代の初期であり、喜連川足利家の家臣達の心境としては、まだまだ個々、城持ちであった頃の気位が残っていたはずでもあります。

このような、喜連川藩特有の事情が喜連川騒動の原因であり、現代における価値観により誰が善で誰が悪とゆう、ことで語るべきではないと考えております。

よって、以後は喜連川騒動に関わった家臣達のそれぞれのルーツをさぐり、それぞれの家臣達の心境を踏まえた上で、簡単な原因としての記述を追加して行きたいと考えております。

この調査も、個人の力では、相当困窮するものであり、こ今後とも、このノートにてご協力いただける方があれば幸いです。----喜連川一色家 2007年2月17日 (土) 04:07 (UTC)

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