喜連川煕氏
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喜連川 煕氏(きつれがわ ひろうじ)は、江戸時代の大名。下野喜連川藩の第10代藩主。
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時代 | 江戸時代後期 | |||
生誕 | 文化9年1月19日(1812年3月2日) | |||
死没 | 文久元年11月10日(1861年12月11日) | |||
別名 | 英次郎、金王丸(幼名) | |||
戒名 | 零光院殿雄山威公大居士 | |||
官位 | 左馬頭 | |||
藩 | 下野喜連川藩主 | |||
氏族 | 喜連川氏 | |||
父母 | 父:喜連川彭氏 | |||
妻 | 正室:毛利高翰の娘 | |||
子 | 英子(喜連川宜氏室) 養子:喜連川宜氏、長岡護美(紀氏) |
文政11年(1828年)11月28日、父・彭氏の嫡子となる。文政13年(1830年)11月28日、父・彭氏の隠居により、家督を相続する。同年12月15日、将軍・徳川家斉に御目見する。文久元年(1861年)11月10日死去。享年50。墓所:栃木県さくら市の竜光寺。
正室は毛利高翰の娘。2女あり。なお、養子は2人いる。安政5年(1858年)4月、養子の紀氏(細川斉護の5男)は、家督を相続することなく離籍した。なお、細川家に戻った紀氏は、長岡護美と名乗り、明治維新期に活躍した。養子・宜氏が家督を相続した。
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