土方為次郎
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土方 為次郎(ひじかた ためじろう、文化9年(1812年) - 明治16年(1883年))は、幕末・明治の一般男性。新選組副長土方歳三の実兄。為二郎とも。諱は義盛。雅号は閑山亭石翠(かんざんてい せきすい)。
武州多摩郡石田村の豪農土方義諄(隼人)の長男として生まれる。長男ではあったが盲目だったため、家督は次男の喜六が継いだ。
「目が自由だったなら決して畳の上では死なない」と常々言っていたほどの豪傑だったが、剣術がわりに三味線浄瑠璃や俳句を嗜み、佐藤彦五郎と同じ趣味同士仲が良く、妹・のぶが嫁いだこともあって、佐藤家にはよく出入りしていたと言う。
嵐の日に川を泳いで渡ったりするかと思えば、大の雷嫌いだったため、雷が鳴るとすぐに布団に入って寝てしまったりしていた。
生涯独身だった。享年72。
[編集] 土方家と弟・歳三
末弟である歳三は、為次郎より23歳も年下。
天保6年(1835年)に父・義諄が、天保11年(1840年)に母・恵津が他界したため、為次郎の肉親は次男・喜六、3男で糟屋家の養子となった良循、佐藤家に嫁いだのぶ、それに末弟・歳三の4人だった。しかし、土方家を継いだ喜六が万延元年(1860年)に急死してしまい、土方家の存続が危うくなる。そのため、為次郎が中継ぎをして、喜六の長男・作助(当時16歳)を結婚させて家督を継がせた。
為次郎は、三味線屋の娘で長唄上手のお琴を大いに気に入り、歳三の嫁にと斡旋したが、歳三は「まだ早い」として結婚を断った。それで為次郎は、お琴を歳三の許嫁とした。兄の影響か許嫁の影響か、歳三も三味線が上手かったと伝わっている。
新選組を結成した歳三から、彦五郎と連名で為次郎へ宛てた手紙も現存する。
また、「おとゝ(弟・歳三)にひかれて」と題された3つの句が残る。
- 春の旅 人の言ふなり 行くなりに
- 葉柳や 誰か置捨てし 檜笠
- 二人して 提げけり浜の あやめ草
墓所は石田寺で、墓石に刻まれた戒名の隣には歳三の戒名が刻まれていた。(現在は改修された。)
[編集] メディア
2004年NHK大河ドラマ新選組!では、昭和年間に土方歳三役として名を馳せた栗塚旭氏がこの為次郎役として登場し、当時のファンを喜ばせた。