場の空気
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場の空気(ばのくうき)とは、集団心理の動向またはそれに立脚された人間集団の行動や態度のこと。
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[編集] 概要
「(場の)空気を読む」とは、集団内における動向を妨げないように行動することを指す。同調圧力の強い社会では規範とされる傾向がある。例えば、酒席で突飛な行動をしてノリを悪くする者に対して「場の空気を読め」と批判する者がいる。
“空気を読む”という行動様式は、集団内における非明示的な共通認識の共有の上に成立している為、その集団に属している期間が短くない者にとってそれほど多大な思考力・想像力を必要としない。従って、空気を読まない者は必然的に「察しが悪い」と否定的な評価を下される。無論、中には自身の利益や目的に応じて“意図的に”空気(=同調圧力)を無視する者もいるが、そういう者もやはり「読む能力が無い(=“読まない”のではなく“読めない”)」と断定される傾向が強い。これは「読む能力があるなら常に読んで行動するに違いない」という思い込みが、判断する側に存在する為である。
日本国内では 和(共同体主義的協調性)という一種の規範意識の延長として、空気を読む事が社会維持につながるとの賛同もある。一方で、日本国内の政治学や社会学ではこの行動規範は文化的後進性の表れとして頻繁に批判される。また、非明示的な慣習であるから文化的・思想的な差異のある相手には理解され難く、排他的であると批判を被る傾向も見られる。
[編集] ソーシャルスキルと「場の空気」
場の空気を意識することは、暗黙知的なソーシャルスキル(=社会技能)であると考えられる。例えば場の空気を読むことに長ける人は集団への親和性が高くなり、逆に場の空気を乱す(周囲の反応を省みない)ひとは集団から排斥されないまでも疎外される傾向が見られる。
集団=社会への親和性という面から見れば、「場の空気を読む」ということは、周囲の反応を意識することと言える。他人の表情や言動と言ったものの中から、自分が何がしかの行動を取った場合の評価に相当する情報を見つけ出し、好ましいと見る反応がでたら行動を積極的に行い、否定的な反応が出た場合は行動を抑制する。それらの評価に相当する反応を見出すことは、一定の経験が必要でもあるため、これに関する訓練も必要であろうと思われる。なお、場の空気を読んでの行為は、必ずしも法令に適合し、又は健康に良いものとは限らない(アルコールハラスメントを参照)。
ただ、このような訓練は主に成長過程や家庭教育で育まれるところでもあり、やはり文化的基盤に影響を受けやすく、また形式知のような形で理知的にこれを理解しようという場合は、マナー教育などを通して、相応の社会技能面での学習ないし教育も必要だろう。このためマナー関連のハウツー本(マニュアル本)なども多く出回っている。
しかし時代によっては、世論が誘導されるなどしていて、周囲に同調したからといって必ずしも正しい判断とは言えなくなっている場合もある。例えばファシズムやナチズム、或いは集団ヒステリー状態にある社会に同調した場合、その結果や後年の評価によって「誤った判断」の烙印を押されかねないためである。ただこのような時代では周囲に同調しないと非国民として排斥されるなど、様々な難しい問題を含み、単純に個人のみを責め難いケースもあり、単純ではない。そういった社会では独自の判断で「正しいこと」をしたとしても、生命の危機を招く場合すらあるためである。そういった状況下では「(同調も反対もせず)社会から逃げること」を選択した過去の人物も少なくない。
[編集] 精神医療との兼ね合い
精神医療分野では、社会性に影響のある幾つかの症状も存在する。これらに関係する者は、場の空気に馴染まない傾向も否定出来ない。
しかしこれらでは「際立った個性」が「場の空気を乱している」と評される傾向も否定できず、これも前出の「場の空気」という考え方に対する否定論に繋がっている。勿論、周囲の人に迷惑を掛ける個性では困るが、「とりたって迷惑ではない」程度の個性に関しては寛容になることも重要と言えよう。
精神疾患のうつ病では、過度に干渉すると悪化する危険性も指摘されている。場の空気を盾に無闇に干渉することは、医学上の禁忌である。
[編集] 発達障害と「場の空気」
訓練によって社会技能を身につけることは可能だが、その一方でアスペルガー症候群ないし広汎性発達障害では、集団に馴染めないなどの問題が良く知られている。これらの発達障害では社会技能の修得に困難が付きまとう傾向が否定出来ない。
ただしこれらの発達障害は、成長に伴って問題行動が減少する傾向がある一方で、またアスペルガー症候群では「発達障害」と言う語感からしばしば欠陥であるかのように思われ否定的に扱われるものの、実は同症状を名付けた小児科医のハンス・アスペルガーにして「魅力的な」と表現したほどの個性的な性質を持っている点が注目できよう。
同症候群では、その顕著な個性を健全に発展させた場合に、場の空気を読めないことを差し引いても社会にとって有益な存在となることも珍しくはなく、過去の偉人や天才においても同症候群と考えられる傾向もまま見出される。この点で排斥することは当人の成長を妨げることにも繋がり問題視することが出来ることから、所定の傾向においては特別支援教育の一種としてギフテッド教育のように専門の高度な教育を与えようと言う考えもある。
[編集] 人格障害と「場の空気」
人格障害では、やはり場の空気にそぐわない傾向を発揮する者がいる。「病的なパーソナリティ(個性)」と呼ばれる者たちだが、これは当人の価値観に起因する傾向が見られる。
特に反社会性人格障害の場合は、他人の反応を気付いていてなお軽視する傾向も見られ、これは社会的にも大きな問題となる場合もある。
その反面で一概に人格障害の一種であっても当人の責任能力がない場合もある。これらの場合には排斥ではなく保護が求められよう。
[編集] コミュニティにおける場の空気
一概に「場の空気」といっても、コミュニティによって様々な「約束事」を持っていることがある。
近年ではインターネットの発達に伴い、従来には無かった形式の様々なコミュニティが誕生している。しかしこれらのコミュニティの中にはネチケットなどの経験的に培われたルールの他に、不文律的な各コミュニティごとの雰囲気を持つと主張するコミュニティもある。
インターネットのコミュニティは現実に人と顔を合わせながら直接コミュニケーションを取るものとは異なり、多くが文字によるコミュニケーションであるため、身振り・手振りといった些細な相手の行動を察する形で場の空気を保つにはできない。インターネット上のコミュニティでは、管理者がルールやガイドライン、コンセプト、を明確にしない限り、場の空気を保つことは困難とも考えられる。しかし明示されたガイドラインなど以外にも「過去ログ」などの形で「残されているが量的な問題から後発参加者には参照困難」な情報も多々あり、これらの累積されたやり取りから派生した参加者間の信頼関係など、曖昧模糊とし感覚的な「場の空気」は暗に存在する傾向も否定しきれない。一見、コミュニティや相互の信頼が成立しているかどうかも危ぶまれる2ちゃんねるにあってすら「半年ROMってろ」などという言葉が飛び出す所以である。
中にはこのコミュニティを台無しにすることに生き甲斐を見出しているような荒らしやネット用語の「厨房」といった奇妙な行動をみせる個人も存在している。ただこれらの者は「構われる程に喜びを見出す」という性質も多々見られるため、コンピュータネットワークの性質上で設けられているアクセス禁止といった措置が取られることも少なくない。
しかし、アクセス禁止を回避する代替手段があるため、ガイドラインを明示すると共に、より積極的方法で問題ユーザーの対応策が行われる場合もある。また、容認し難い程の揉め事は該当地域の法令に照らし合わせるなどして刑事罰や民事訴訟などの処罰を求める場合もあるが、国境が無いというインターネットの特性上で仕方がないと妥協し放置してしまうという消極的代替手段を用いる必要もある。ただ、場合によっては国際法規上で罰せられるケースに発展する場合もあるなど、放置によって発生しうるリスクは大きい。テロリスト関連のデータを放置したために捜索を受けた事件も起こっている。
コミュニティで楽しむ場合には、やはり一定の社会技能があったほうが、楽しいことには違いないため、ルールの把握は最低限必要なのだろう。
[編集] 関連項目
- 「場の空気」を盾に飲酒を強要する者もいるが、それこそが一番の問題である。
- 類似するが、より広義の概念。
- 『「空気」の研究』の著者。
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