堺県
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堺県(さかいけん)は、明治時代初期に存在した県。堺(現在の大阪府堺市)が県庁所在地であった。範囲は現在の大阪府東部と南部地域であるが、後に奈良県全域が編入された。
江戸時代には天領であった堺とその周辺は、江戸幕府の崩壊後に徳川氏から朝廷に接収されていたが、慶応4年(明治元年・1868年)に入ると堺事件の発生などもあり、新しい行政組織の設立が急がれる事となった。そこで同年6月22日(新暦8月10日)に堺とその周辺を範囲として発立されたのが堺県である(一説には当初は「境県」が正式名称だったとも言われている)。
- 明治2年8月2日(1869年9月7日)-河内の旧天領から構成された河内県を編入合併する。
- 明治3年3月27日(1869年3月28日)-一部(高野山金剛峯寺領)が新設の五條県に編入される。
- 明治4年11月22日(1872年1月2日)-廃藩置県後の県の整理統廃合に伴い、岸和田・伯太・吉見・丹南4県(全域)と五條県の一部を編入合併。「堺県」が正式名称として確定する。
- 明治9年(1876年)4月18日(新暦)-奈良県全域を編入合併。
ところが、明治14年(1881年)2月7日、堺県は大阪府に編入されてしまう。廃藩置県後の県の整理の一貫と見られるが、全国的に見ればその作業は完了しており逆に大き過ぎる県の分割の方に問題が移りつつあった中での合併であった(現実に堺県の合併以後、北海道の再編と太平洋戦争後のアメリカ軍の軍政施行によって一時廃止された沖縄県以外に都道府県が廃止された例はない)。
そして、その後やはり府域の広大すぎる事が問題視されて、明治20年(1887年)11月4日になって、かつて堺県の一部となっていた奈良県が再度分離される事になるのである。