士壱
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士壱(しいつ、153年?-?)は、後漢末期から三国時代にかけての武将。士賜の子、士燮の弟。士匡の父
三国志演義における記述は無い人物である。後漢王朝の督郵(行政官の監視役)で、丁宮という人物に仕えていた。丁宮が都から召し出されたとき、壮大な送別会を開き、感激した丁宮から「私が三公になれたら、貴殿を重く取り立てよう」と言われた。そして丁宮が三公のひとつである司徒になると、丁宮から都に呼び出され、重く用いられている。
董卓が後漢王朝の実権を掌握したとき、黄琬と共に董卓に対して反抗的な態度をとったため、怒った董卓によって罷免されたうえ、士壱を任官したものは厳しく処罰するという布告まで出されてしまう。このため、士壱は身の危険を感じて都を離れて兄のもとへ帰郷した。後に、兄の推挙で合浦の太守に任じられた。