大伴継人
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大伴継人(おおとものつぐひと、? - 延暦4年(785年))は、奈良時代後期の官僚。姓は宿禰。父は大伴古麻呂(おおとものこまろ)。子に伴国道、孫に伴善男がいる。
777年(宝亀8年)遣唐使判官として入唐、翌778年(宝亀9年)肥後国天草郡に漂着し帰朝した。781年(天応元年)光仁天皇が病気になったとき美濃国固関使(こげんし)をつとめた。785年(延暦4年)桓武天皇の行幸中長岡京で起きた藤原種継暗殺事件で主謀者として逮捕され、処刑された。なお、子の伴国道も縁坐(えんざ=犯罪者の親類縁者が連帯責任で罰せられること)して佐渡に流されたと伝えられている。
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