大友義乗
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大友 義乗(おおとも よしのり、天正5年(1577年) - 慶長17年7月11日(1612年8月7日))は大友氏第23代当主。父は大友義統(吉統)、母は大友氏家臣・吉弘鑑理(高橋紹運の父)の娘・菊姫。幼名は塩法師丸。名は始め能述。その後、能延、義延。
文禄2年(1593年)、父・義統が文禄の役において敵前逃亡をしたとされる失態で大友氏は豊臣秀吉の逆鱗に触れ改易されてしまう。嫡子であった義乗は加藤清正にお預けの処分となった。翌年、お預け先が徳川家康へと変わり、江戸牛込(現・東京都新宿区)に屋敷を与えられ蟄居させられる。
義統が石垣原の戦いに敗れ常陸国宍戸に幽閉された慶長5年(1600年)ころ、大友氏の家督を相続したと考えられる。名家の故を持って取り立てられ、高家として徳川氏に仕えた。
跡目は次男の義親が嗣いだ。
イエズス会に伝わる資料では義統の息子が受洗し「フルゼンシオ」という洗礼名を受けたとあるが、これが義乗に当たるかどうかは不明である。