大友義閭
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大友 義閭(おおとも よしさと、寛文5年(1665年) - 享保17年12月18日(1733年2月2日))は江戸時代の高家旗本。大友義孝の次男。初名は親方。通称は長十郎、孫十郎。官位は従四位上侍従、因幡守。
貞享4年(1687年)9月6日将軍徳川綱吉に御目見する。元禄2年(1689年)11月18日表高家衆に列する。宝永元年(1704年)6月27日父義孝の隠居により、家督を相続する。宝永2年(1705年)1月11日高家職に就き、従五位下侍従・因幡守に叙任する。後に従四位上に昇る。正徳3年(1713年)6月18日高家肝煎となる。享保16年(1731年)10月25日高家肝煎を辞職する。享保17年(1732年)12月18日死去、享年71。
正妻は青山成政の娘。長男義武ら九男二女あり。
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