大場土佐
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
|
||||
時代 | 安土桃山時代から江戸時代前期 | |||
生誕 | 不明 | |||
死没 | 不明 | |||
別名 | 大場土佐(通称)、大場三左衛門(本名) | |||
官位 | 土佐守 | |||
氏族 | 大場氏(大庭氏) |
大場 土佐(おおば とさ)は、安土桃山時代から江戸時代前期にかけての武将。豊臣秀次の精鋭部隊と言われた若江八人衆の一人。名は三左衛門(さんざえもん)で、姓は大庭ともいわれる。
早くから豊臣秀次の馬廻組頭として仕え、天正11年(1583年)の賤ヶ岳の戦いにも秀次に従って参加した。天正12年(1584年)の小牧・長久手の戦いにも参加している。文禄4年(1595年)に秀次事件で秀次が自害した後は、石田三成の家臣として仕えた。慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いでも、石田軍の武将として参加し、本戦で奮闘している。
関ヶ原の後は、蜂須賀至鎮の家臣として仕えた。