大崎義隆
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大崎義隆(おおさきよしたか、天文17年(1548年) - 慶長8年(1603年))は大崎義直の子で、大崎氏第13代(最後)の当主。
父・義直の時代に伊達氏に服属した大崎氏であるが、義隆は最上義光の支援を受けて伊達氏から独立を目指し、対立する。このため、1588年に伊達政宗の侵攻を受けるが勝利した(大崎合戦)。
しかし、1589年に蘆名氏が滅び、政宗が名実共に奥州の覇者となると、政宗の圧迫を再び受け、伊達氏に臣従した。
そして、1590年、豊臣秀吉の小田原征伐に参陣しなかったため、義直は所領を没収されて改易。これにより大崎氏は滅亡。その後、義隆は上杉氏に身柄を預けられたという。