大津敏男
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
大津敏男(おおつ としお、1893年10月26日 - 1958年12月27日)は、第15代にして最後の樺太庁長官。
[編集] 来歴
- 福岡県に生まれ、1918年、東京大学法学部を卒業し、内務省に入省。
- 1938年~1941年に関東局長官に就任。その後1942年に埼玉県知事(官選)となった。
- 1943年に樺太庁長官に就任した。
- 1945年8月9日のソ連の対日宣戦後、8月24日に豊原市がソ連軍に占領されるまで、樺太住民の内地への疎開に全力を尽くした。そのため満州で起こった残留孤児の問題が樺太で発生することはなかった。
- ソ連占領後も残留した樺太住民28万人の生命と安全を守るべく奔走した。
- 1945年12月30日、ソ連軍によって逮捕され、ハバロフスク裁判を経て、抑留されるという辛苦を味わった。抑留地は主にハバロフスクであった。
- 1950年に帰国した。
- 1956年の日ソ共同宣言に関して、国会で全国樺太連盟を代表して意見を述べている。
- 1958年12月27日、心不全のため死去した。享年65。
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
|
|
|