大瀬崎灯台
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大瀬崎灯台のデータ | |
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灯台表番号 | 6161-F5002 |
北緯 | 32-36-46(45,8) |
東経 | 128-36-00(35-59,9) |
住所 | 長崎県五島市玉之浦町山之神表1429 |
塗色 | 白色 |
等級 | 無等 |
灯質 | 閃白光・毎10秒を隔てて1閃光 |
光力 | 200万カンデラ |
光達距離 | 23.5浬 |
明弧 | 301度から175度まで |
光源 | 電灯1キロワット電球 |
灯器種別 | L13-90型 |
電球種別 | H-1000 |
標識種別 | 沿岸大型 |
海図番号 | W217、W1212 |
外部リンク | 五島の灯台(Umiの写真館) |
大瀬崎灯台(おおせさきとうだい)《海上保安庁的には大瀬埼》
長崎県五島市玉之浦町、大瀬崎の断崖にそびえたつ灯台。灯台としての規模は大型であり日本屈指の光達距離を誇る。東シナ海を航海する船舶の標となっている。『日本の灯台50選』の一つでもある。五島列島を代表する観光の名所である。
大瀬崎展望台登山途中撮影した東シナ海→画像:Higasisina.JPG
目次 |
[編集] 交通
[編集] 交通アクセス
大瀬崎灯台は五島列島の福江島にある。ここは、長崎県だが船を利用するより、福岡経由での航空便を使った旅が時間的には速い。しかし、一日二便しかない。
[編集] 交通関連項目
[編集] 歴史
五島列島は昔より中国とを結ぶ航海の要衝であった。日本における最初の灯台は、664年に防人に遣唐使船の目標になるよう昼は烽火(のろし)をあげ、夜はかがり火を焚かせたのがその始まりとされている。 五島は、航海の要地であるとともに漁業基地としても昭和初期までは重要視される。着工は1876年(明治9年)で、イギリス人のR・プラトンの設計といわれる。10mあまりきつりつしていた岩石を切り落として基盤とし、ここに灯台を築いた。初点灯は1879年(明治12年)で、総工費は当時の額で3万円だった。 大瀬崎の山頂にある無線電信所は、日露戦争の日本海海戦の端緒となる、「敵艦見ゆ」の第一報を受信した歴史もあり、この山は電波山と呼ばれた。1945年(昭和20年)8月7日には、米軍の潜水艦による20分間の艦砲射撃をみまわれ、その一発は灯台丸屋根を貫通したがレンズは奇跡的に無事だった。このときの目標は、灯台の背後の山にある、無線電信所だった。 1971年(昭和46年)に、改築され今の白い円塔の灯台となる。少なくとも昭和末期では灯台守がいて、灯台のふもとに居を構え監視していたが、現在は無人灯台である。
旧灯台跡の画像→画像:Kyuutoudai-ato.JPG
[編集] 参考資料
- 玉之浦町郷土誌(記述ミス多々有り)
- 第七管区海上保安本部 交通部企画課監理係長 福本 久士 様よりの情報
- 燈台風土記
[編集] 関連項目
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