大陸打通作戦
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
大陸打通作戦(豫湘桂会戦) | |
---|---|
戦争: 日中戦争 | |
年月日: 1944年(昭和19年)4月17日 - 12月10日 | |
場所: 河南省:京漢線沿線、洛陽、湖南省:長沙、衡陽、広西省:桂林、柳州 | |
結果: 日本軍の戦術的勝利 | |
交戦勢力 | |
![]() |
![]() |
指揮官 | |
畑俊六元帥 | 衛立煌将軍 |
戦力 | |
兵力:400,000 火砲:1282 戦車:800 自動車:12,000 馬:70,000 |
兵力:390,000 |
損害 | |
戦死者:10,000以上 | 遺棄死体:72,133 捕虜:40,598 |
大陸打通作戦(たいりくだつうさくせん)は、1944年4月17日から12月10日にかけて行われた大東亜戦争中の中国戦線で行われた作戦。正式名称(日本側作戦名)は一号作戦。中国側呼称は豫湘桂会戦。前半の京漢作戦と後半の湘桂作戦に大きく分けられる。インパール作戦とほぼ同時期に行われた。
目次 |
[編集] 概要
華北と華南を結ぶ京漢鉄道を確保し、南方資源地帯と日本本土を陸上交通路で結び、また米空軍の長距離爆撃機B29基地に使用されると予想される航空基地の占領、並びに重慶軍の撃破と継戦意思の破砕を企図して行われた。総兵力40万、作戦距離2400kmに及ぶ大規模な攻勢作戦であった。作戦目的地の占領には成功し、地図上では朝鮮半島の釜山から、泰緬鉄道を経てビルマのラングーンまで鉄道で往復できることになったが、広大な大陸を点と線で結んだに過ぎず、京漢鉄道は中国軍のゲリラ的妨害活動を排除して運行するには長大過ぎ、まともに機能しなかった。またB29基地の使用阻止も、マリアナ諸島が陥落したことで無意味となる。