奥平貞昌
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奥平 貞昌(おくだいら さだまさ、文明3年(1471年)?-天文4年(1535年)?)は、戦国時代初期の三河国の国人領主。奥平貞久の子。奥平貞勝の父。
今川氏に仕えて三河国東部に勢力を伸ばした。永正2年(1505年)、今川氏親により遠江国浜松荘(現在の静岡県浜松市付近)の一部を所領として宛がわれた。
永正11年(1514年)、今川氏親の遠州曳馬城攻めに呼応し、 同国の井伊谷に在る御嶽城を攻め落とした。以後、この城番を務める。この頃の奥平氏は戸田氏とともに今川氏の傘下として松平氏や牧野氏と争っていた。
ところが、松平清康が東三河平定に乗り出す享禄年間(1528~1532)には清康に従い、八名郡の宇利城攻略戦に従軍する。
最期は、遠江国御嶽城(三岳城)で病死したと言われている。嫡子・貞勝は60歳を過ぎてからの子と言われるが、その後も3人の男子、2人の女子に恵まれており、生没年が疑われる事がある。
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