子路
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子路(しろ、紀元前543年 - 紀元前481年)は、姓は仲。名は由。孔門十哲の一人であり、字の子路をもって『論語』にしばしば言及される。季路とも呼ばれる。魯国出身。門下でも武勇を好み、そのためか性格はいささか軽率なところがある反面、質実剛健たる人物であったようである。『論語』には、性格の軽率さを孔子にとがめられるも、その人物の率直なるを持って愛された姿が記される(「我とともにするは、それ由なるか」)。弟子の中で『論語』に出てくる回数が最も多い。
『史記』「孔子世家」によれば、衛の高官となったが、反乱で落命した。子路の遺体が塩漬けにされた(これは長く見せしめとするためである)と聞いた孔子は悲しみにより、家にあったすべての塩漬けを捨てさせたと伝えられる。
[編集] 子路を扱った小説
昭和初期を代表する作家中島敦に、子路を主人公とした小説『弟子』がある。孔子に弟子入りした子路がその直情径行な性格と儒学の大きな差の中で苦しみつつ学んでいく姿と、子路を叱りつつも彼を愛した孔子とを情感豊かに描いている。
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