学生新聞
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学生新聞(がくせいしんぶん)は、主に大学や高等学校において、学生が編集の主体となって刊行される新聞の総称。
その多くは学内でのみ配布されるが、中には東京大学新聞などのように学外においても積極的に販売されるものもある。
内容は主に学内における各種ニュース(総長・学部長等の選挙や予算割当て、運動部の成績など)に加え、各学部の研究内容の紹介、学内の教授らの寄稿によるコラム等で構成されるものが多い。
日本では戦前から1960年代にかけては政治的な内容の記事も数多く掲載され、特に戦前には「大学自治」の名の下に比較的自由な言論が許されていたことから、ジャーナリズムにおいてある種独特の位置を占めていた。戦後も学生の間での世論形成に一定の影響力を持っていたが、学生運動の衰退とともにそのような記事ならびに影響力は大幅に減少している。
[編集] 歴史
日本における最初の学生新聞は、1917年に慶應義塾大学において創刊された「三田新聞」であると言われている。これに刺激を受ける形で1920年には東京大学において「帝国大学新聞」(現在の東京大学新聞の前身)、1922年には早稲田大学新聞が創刊されるなど、多くの大学で学生新聞の発行が相次いだ。
しかし第二次世界大戦の勃発に伴い、言論統制や新聞の発行に不可欠な紙の配給統制などが強化されると、学生新聞の発行は次第に困難となり、1944年には早稲田大学新聞が休刊、「帝国大学新聞」と「京都帝国大学新聞」が「大学新聞」として統合されるなど、活動の停滞を余儀なくされた。
第二次世界大戦が終結すると、各大学で再び学生新聞の発行が再開されたほか、「大学新聞」から「学園新聞」(現在の京都大学新聞の前身)が分離したが、依然として紙の不足という問題が継続していたことから、1949年には用紙の割り当てや広告営業における連携を目指し「全日本学生新聞連盟」が結成される。その後同連盟は、学生運動の中で1968年に「全国学生新聞」を創刊するなど政治的な動きを強めるようになるが、学生運動の衰退に伴う形で1970年に自然消滅した。またこのように政治的な動きを強める既存の学生新聞に反発して、1969年には「慶應塾生新聞」が創刊されるなど、ノンポリの立場から新たな学生新聞を創刊する動きも見られた。
一方で各大学のスポーツ活動を専門に紹介する学生新聞の発行も盛んとなった。1959年に早稲田大学で「早稲田スポーツ」が創刊されたのを皮切りに、主要な私立大学で学生スポーツ新聞が刊行されるようになり、現在では日刊スポーツ新聞社がこれら学生スポーツ新聞と提携して記事の提供を受けるまでに成長している。
近年は統一教会がいわゆる原理研究会系の偽装サークルとして独自に学生新聞を発行する例(東大新報など。「○○ジャーナル」という名前のものも多い)が増加しており、現在ではそのような学生新聞の連合体である「全国学生新聞連合」も存在する。
なお、日本共産党の学生党員向け機関紙として「学生新聞」(発行:学生新聞社)が発行されていたこともある。