孫韶
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孫韶(そんしょう、188年-241年)は、三国時代の呉の皇族。孫河の甥に当たる。字は公礼。子は孫楷・孫越・孫異・孫奕・孫恢がいる。
もとは瑜氏。叔父の孫河が孫策に気に入られて孫姓を与えられて皇族として迎えられたとき、甥の孫韶も皇族として迎えられた。17歳のとき、孫河の後を継いで孫権に仕えた(孫河の子の孫桓がまだ幼かったため)。身の丈八尺で、温厚で冷静沈着だったことから、孫権に気に入られた。武勇に優れ、魏との戦いで活躍した。また、歩兵の育成などに多大な功績を立てている。
三国志演義では、224年の魏との戦いのとき、大将格の徐盛の作戦に異を唱えて徐盛を怒らせ、斬られそうになり、孫権にも怒りを買うという損な役回りを演じさせられている。だが徐盛の策にかかった魏軍に対し奇襲を行い魏軍に対し大打撃を与えることに成功し、この戦いで徐盛と共に孫権に賞された。