寛助
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寛助(かんじょ、天喜5年(1057年) - 天治2年1月15日(1125年2月19日))は、平安時代後期の真言宗の僧。父は右大弁源師賢。成就院大僧正・弁大僧正・法関白とも称される。
仁和寺経範の室に入って密教を学び、性信入道親王(しょうしんにゅうどうしんのう)から灌頂を受けた。白河法皇からの信任が厚く、1099年(康和元年)権律師に任じられて以降、遍照寺別当・仁和寺別当・東寺長者・東寺法務を歴任した。1113年(永久元年)鳥羽天皇の病気平癒の修法の報償として、東寺結縁灌頂の小阿闍梨(こあじゃり)が僧綱に任じられる慣例のもとを築いた。その後も、広隆寺別当・法勝寺別当・東大寺別当を歴任し、1121年(保安2年)大僧正に任じられた。