仁和寺
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仁和寺 | |
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![]() 金堂(国宝) |
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所在地 | 京都府京都市右京区御室大内33 |
位置 | 北緯35度1分51.63秒 東経135度42分49.58秒 |
山号 | 大内山 |
宗派 | 真言宗御室派総本山 |
本尊 | 阿弥陀如来 |
創建年 | 仁和4年(888年) |
開基 | 宇多天皇 |
正式名 | |
別称 | 御室御所 |
札所等 | 真言宗十八本山6番 京都十三仏9番 御室八十八ヶ所霊場 |
文化財 | 金堂他(国宝) 五重塔他(重要文化財) 世界遺産 |
仁和寺(にんなじ)は、京都府京都市右京区御室(おむろ)にある真言宗御室派総本山の寺院である。山号を大内山と称する。正式名称を旧御室御所跡仁和寺という。本尊は阿弥陀如来、開基(創立者)は宇多天皇である。皇室とゆかりの深い寺で、出家後の宇多法皇が住したことから「御室御所」(おむろごしょ)の別名がついた。御室は桜の名所としても知られ、春の桜と秋の紅葉の時期は多くの参拝者でにぎわう。また、徒然草に登場する「仁和寺にある法師」の話は著名である。古都京都の文化財の一部として、世界遺産に登録されている。
同寺は観覧(拝観)が可能であり、受付で「拝観料」を納めることで境内や公開している史跡等を観覧できる。今日でも国内や外国人の参拝客・観光客の多く訪れる史跡であり、旧御室御所にて茶の湯を振舞う(有料)茶室も用意されている。
目次 |
[編集] 起源と歴史
仁和寺は光孝天皇の勅願で仁和2年(886年)に建て始められたが、同天皇は寺の完成を見ずに翌年崩御した。遺志を引き継いだ宇多天皇によって、仁和4年(888年)に落成し、年号をとって仁和寺と号した。宇多天皇は出家後、仁和寺伽藍の西南に「御室」(おむろ)と呼ばれる僧坊を建てて住んだため、当寺には「御室御所」の別称がある。なお、「御室」の旧地には現在、「仁和寺御殿」と称される御所風の建築群が建つ。
仁和寺はその後も皇族や貴族の保護を受け、明治時代に至るまで、皇子や皇族が歴代の門跡(住職)を務めた。室町時代にはやや衰退し、応仁の乱(1467年-1477年)で伽藍は全焼した。近世になって、寛永年間(1624年-1644年)、徳川家光の寄進により伽藍が整備された。また、寛永年間の皇居建て替えに伴い、旧皇居の紫宸殿、清涼殿、常御殿などが仁和寺に下賜され、境内に移築されている(現在の金堂は旧紫宸殿)。
[編集] 伽藍
- 金堂(国宝)-慶長18年(1613年)に建立された旧皇居の正殿・紫宸殿を寛永年間(1624年-1644年)に移築・改造したもので、近世の寝殿造遺構として貴重である。宮殿から仏堂への用途変更に伴い、屋根を檜皮葺きから瓦葺きに変えるなどの改造が行われているが、宮殿建築の雰囲気をよく残している。
- 御影堂(重文)-旧皇居の清涼殿の用材を用いて建設したもの。宗祖空海を祀る。
- 仁和寺御殿-仁王門から中門に至る参道の西側に位置する仁和寺の本坊で、宇多法皇の御所があった辺りに建つ。近世初期の皇居・常御殿を移築したものであったが、1887年(明治20年)に焼失。現在の建物は明治時代末~大正時代初期に再建されたものだが、庭園とともにかつての宮殿風の雰囲気をただよわせている。
- 遼廓亭(重文)-江戸時代の画家・尾形光琳の屋敷から移築されたもので、葺下し屋根の下に袖壁を付け,その中ににじり口を開いているのが珍しい。
- 飛濤亭(重文)-江戸時代末期に光格天皇の好みで建てられた草庵風の茶席で、腰をかがめずに入れるように鴨居の高い貴人口が設けられている。
その他、五重塔、経蔵、九所明神社本殿、御影堂中門、観音堂、鐘楼、仁王門、中門、本坊表門(以上重文)などがあり、大部分は徳川家光の寄進で寛永年間に整備されたものである。
[編集] 文化財
[編集] 国宝
- 金堂
- 木造阿弥陀三尊像-もと金堂に安置され、現在は寺内の霊宝館に移されている。仁和4年(888年)創建時の本尊とするのが通説だが、和様化の進んだ作風等から見て、仁和寺創建当時のものではなく、10世紀頃の作とする見方もある。
- 木造薬師如来坐像-本坊北側にある霊明殿(仁和寺の歴代門跡の位牌をまつる堂)の秘仏本尊。1986年、京都国立博物館の調査で初めて概要が明らかになり、1990年、国宝に指定された。康和5年(1103年)、白河天皇の皇子・覚行法親王の発願により仏師円勢と長円が造像したものである。本体の像高11センチ、光背と台座を含めても24センチほどのビャクダン(白檀)材の小像で、光背には七仏薬師像と日光・月光菩薩、台座には前後左右各面に3体ずつの十二神将を表わす入念な作である。
- 孔雀明王像(絵画)-中国北宋時代の仏画。
- 宝相華蒔絵宝珠箱(ほうそうげ まきえ ほうじゅばこ)-平安時代前期の漆工芸品。蒔絵の初期の遺品として貴重。
- 三十帖冊子・宝相華迦陵頻伽蒔絵ソク冊子箱(ソク=土へんに「塞」)(ほうそうげ かりょうびんが まきえ そく さっしばこ)-「三十帖冊子」は、空海が唐から持ち帰った写経の小冊子(サイズは縦横とも十数センチ)30冊で、一部に空海自筆を含む。古来、真言宗の重宝として尊重されている。付属の箱は朝廷から下賜されたもので、平安時代の漆工芸品として貴重である。
- 御室相承記-仁和寺の歴代法親王の記録。鎌倉時代。
- 高倉天皇宸翰消息-「宸翰」(しんかん)は天皇の直筆、「消息」は手紙の意。若くして死去した高倉天皇の18歳の筆で、同天皇の現存唯一の遺筆。
- 後嵯峨天皇宸翰消息-後嵯峨天皇の確証ある遺筆としては唯一のもの。
- 黄帝内経明堂2巻・黄帝内経太素24巻-中国の医学書『黄帝内経』(こうていないけい)の注釈書。「明堂」は鎌倉~南北朝時代、「太素」は平安時代の写本。
- 医心方-日本最古の医学書『医心方』の平安時代後期の写本。
- 新修本草-唐時代の薬草に関する本『新修本草』の鎌倉時代の写本。
[編集] 重要文化財
(建造物)
- 「仁和寺」14棟(五重塔、観音堂、中門、二王門、鐘楼、経蔵、御影堂、御影堂中門、九所明神社本殿3棟、本坊表門、遼廓亭、飛濤亭)
(絵画)
- 絹本著色聖徳太子像
- 絹本著色僧形八幡神影向図
- 紙本白描及著色密教図像 17点
- 紙本墨画高僧像 1巻
- 紙本墨画四天王図像 1巻
- 紙本墨画弥勒菩薩画像集 1帖
- 紙本墨画薬師十二神将像 1巻
- 紙本墨画別尊雑記(図像入)57巻
(彫刻)
- 厨子入木造愛染明王坐像
- 木造吉祥天立像
- 木造悉達太子坐像(注)
- 木造増長天・多聞天立像
- 木造文殊菩薩坐像
(注)当初「木造聖徳太子坐像」として指定。1991年に現名称に変更。
(工芸品)
- 住吉蒔絵机
- 色絵瓔珞文花生 仁清作
- 銅製舎利塔・五鈷鈴・三鈷鈴・九頭竜鈴・五鈷杵
- 日月蒔絵硯箱
- 宝珠羯磨文錦横被
(書跡典籍)
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(考古資料、歴史資料)
- 仁和寺境内出土品 一括
- 日本図
[編集] 御室八十八ヶ所霊場
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寺の北西の山(成就山)にあり四国八十八箇所を小規模に再現した巡礼地である。各寺を模した小規模な堂が約3kmの山道沿いに点在する。各堂には実際の四国霊場から砂を集め本尊、弘法大師とともに祀ってある。
[編集] 御室桜
仁和寺の桜には特に「御室桜(おむろざくら)」の名が付いている。約200本あり、八重咲き。樹高が低いのは、この地の岩盤が固く、深く根を張れないためという。「花(鼻)が低い」ということから「お多福桜」ともいう。満開は例年4月20日過ぎと遅く、桜の名所の多い京都で季節の最後を飾る。
[編集] 仁和寺を舞台にした映画
[編集] 関連項目
古都京都の文化財 |
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