小林利雄
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
小林 利雄(こばやし としお、1921年3月28日 - )は、日本の広告プロデューサー・テレビ映画製作者。かつて存在した日本の広告代理店宣弘社の元代表取締役社長・元取締役会長。
目次 |
[編集] 概要
- 国産初のテレビ映画『月光仮面』を企画制作したことで知られる。
- 戦後大陸から復員し、父が創業した社を継いで二代目社長となり、宣弘社を屋外・交通広告主力の広告代理店に育て、「駅広告の小林」「ネオンの小林」と異名を取った。
[編集] 略歴
- 1940年、法政大学商業学校(後の法政大学第一高等学校)を卒業。
- 1941年12月、父の経営する中村宣弘社(のちの宣弘社、1955年に改称)に入社。
- 1945年3月、召集を受け、1946年4月現在の内蒙古より佐世保へ復員。
- 1948年12月、中村宣弘社代表取締役に就任。同月、東京駅の改札ドームに武田薬品のネーム入り巨大クリスマスツリーを設置、話題となる。
- 1950年代、当時まだ橋の存在した数寄屋橋を中心に、マツダビルディングに東芝(水銀灯照明)、ソニー(ネオンサイン電光ニュース)、丸善石油(ネオンサイン)、不二家フランスキャラメル(看板)とすべて小林が手がけ、「銀座の夜を明るくした男」とも呼ばれた。
- 1958年2月24日、『月光仮面』TBSでの放映を開始。最高視聴率68%を記録するほどの爆発的人気を博す。
- 1960年、日本のスポンサーを香港に連れて行き、ネオンサインを設置。以来、シンガポール、ニューヨーク、バンコクなどにも進出。
- 1960年に放送開始した『怪傑ハリマオ』では、香港、タイ、カンボジアなどで日本のテレビ映画史上初の海外ロケを敢行。
- 1974年12月17日、『闘え!ドラゴン』の放送終了をもって、テレビ映画の制作を終了する。
- 2001年、社長職を小林隆吉(現アド・ギア取締役相談役)に譲り、会長になるも、翌2002年、宣弘社はサントリーに買収される。新会社サン宣弘社では顧問に就任(現在は退任)。
[編集] フィルモグラフィ
[編集] テレビ映画
- 月光仮面 第1部 - 第5部 TBS タケダアワー
- 遊星王子 NTV
- ジャガーの眼 TBS タケダアワー
- 快傑ハリマオ NTV
- 恐怖のミイラ NTV
- 隠密剣士 TBS タケダアワー
- 新・隠密剣士 TBS タケダアワー
- 光速エスパー NTV
- ガッツジュン TBS タケダアワー
- シルバー仮面 TBS タケダアワー
- アイアンキング TBS タケダアワー
- レッドバロン NTV
- 隠密剣士 TBS タケダアワー
- 隠密剣士 突っ走れ! TBS タケダアワー
- 闘え!ドラゴン TX
[編集] 劇場用映画
[編集] 著書
- アイデアの旅:屋外広告、テレビを主題として(ダヴィッド社)1959年
[編集] 参考書籍
- シルバー仮面・アイアンキング・レッドバロン大全 - 宣弘社ヒーローの世界(著岩佐陽一、双葉社) 2001年08月発売 ISBN 4575292621
- 電光の男(著加藤文、文藝春秋) 2003年12月4日発売 ISBN 4163224408
- ネオンサインと月光仮面 宣弘社・小林利雄の仕事(著佐々木守、筑摩書房) 2005日6月24日発売 ISBN 4480818251
カテゴリ: 宣弘社 | 特撮 | 人物関連のスタブ項目