小林和公
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小林和公(こばやし かずひろ、1967年1月14日 - )は、日本のセントラル・リーグのプロ野球審判員、元プロ野球選手。群馬県出身。
[編集] 来歴・人物
群馬県立前橋商業高等学校から淑徳大学に進学し、1989年ドラフト外でヤクルトスワローズ入団。1993年からセントラル・リーグ審判員。1997年4月9日、読売ジャイアンツ対横浜ベイスターズ戦でデビュー。現在まで558試合出場。審判番号は入局から2003年まで40(※ 現在は空番)だったが、2004年から14(※14は1988年初採用から1989年まで佐藤清次がつけていた番号である)。
今後の目標は、常時一軍定着およびオールスター出場であろう。まだまだ成長の余地はあり、なお一層の研鑽が求められる。
珍しい左利きの審判である。ボール袋を左につけていることからも分かる。
2005年、甲子園で行われた阪神タイガース対中日ドラゴンズ戦で球審だった彼は福留孝介の放ったファール(ライナーの打球)を頭部にまともに受け、退場してしまった(軽い脳しんとうだったという。試合はその後2塁塁審の本田英志が球審に入った。マスクはスロートガード一体型のものだったことから、小林球審が使っていたものを代用したとみられる)。
2006年8月9日、豊橋で行われた中日ドラゴンズ対広島東洋カープ戦において球審を務めた小林は、8回表終了後に広島の清川栄治投手コーチから「次の投手は永川」という旨の発言を聞いて、これを正式な選手交代の通告と勘違いし、このため、球場の場内放送で「9番、ピッチャー、永川」がコールされた。 しかしマーティー・ブラウン監督は9番には8回表に代打した松本高明をそのまま入れて遊撃の守備につかせ、2番に梵英心に代えて永川勝浩を入れるつもりであったため審判団に抗議した。審判団は誤りを認め、中日監督の落合博満に「2番・永川、9番・松本」とすることを認めるよう説得したが、落合監督が納得せず試合が24分間中断した。小林はこの件で厳重戒告と制裁金3万円の処分を科された。