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小関三英(こせき さんえい、天明7年6月11日(1787年7月25日) - 天保10年5月17日(1839年6月27日))は、江戸時代後期の医者・蘭学者。出羽国の庄内地方・鶴岡出身。
長崎でシーボルトに師事(と言われていたが、最近では長崎遊学、シーボルト門下というのは確証が全くない)し、江戸では渡辺崋山・高野長英と親しく、尚歯会のメンバーの一人。蛮社の獄で崋山・長英の入牢を聞き、自害する。だが三英は特に処罰される必然性がなく、自害は粗忽だったのではないかとされている。
西洋史にも興味を持ち、日本にナポレオン・ボナパルトを紹介。