山口県立宇部工業高等学校
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山口県立宇部工業高等学校 | |
創立 | 1921年(大正10年) |
設置学科 | 機械科 電子機械科 電気科 化学工業科 (定時制)機械科 |
所在地 | 〒775-0036 |
宇部市北琴芝一丁目1番1号 | |
電話番号 | 0836-31-0258 0836-31-0259(FAX) |
外部リンク | 公式サイト |
山口県立宇部工業高等学校(やまぐちけんりつ うべこうぎょうこうとうがっこう)は、山口県宇部市にある公立の工業高等学校。山口県で一番最初に設立された工業高等学校。卒業生は約二万人を数え、その多くは工業国・日本の底辺を支える優秀なエンジニアとして活躍している。そのほかにも各界に豊富な人材を輩出し、卒業生の中には、直木賞の作家、古川薫(現・定時機械卒)など文壇で活躍する人物もいる。また、そのバンカラな校風は、宮下あきら(宇部中央高校出身)の漫画「魁!!男塾」にも影響を与えたといわれる。
目次 |
[編集] 制服
学生服の襟には校章と科章を付けている。また科章は学年によって違う。
- 1年生・・・黄色(未熟なヒヨコをイメージしている)
- 2年生・・・水色(ヒヨコから飛び立つ空の色をイメージしている)
- 3年生・・・紅色(山工の色をイメージしている)
近年はロボット作りが盛んで、2000年に行われた第8回全国高等学校ロボット競技大会では全国優勝を果たすなど、その名を山口県内だけにとどまらず全国に轟かせている。
創立80周年を迎えた2001年には初の女子学生を迎え入れ、女性エンジニアの育成に乗り出したが、厳しい気風のためか女子生徒の定着には到らなかった。2006年12月22日現在全校生徒は542人で女子生徒の割合は1%ほどである。
体育祭と山工祭(文化祭)は毎年500人以上の観客が来る。また卒業生や女子高生の来客も多い。午前の部の最後にある「応援合戦」は生徒が放課後、3年生を中心に遅くまで残りダンスの練習をする。1人1人が本気で踊るのでとても見栄えがいい事で評判。
通称は「山工」、校訓は「誠と熱」 また、宇部工業には古くから「校歌練習」という一風変わった伝統があり、新入生は放課後、否応なしに先輩によって校歌を教え込まれる。この激しい練習は数日にわたって行われ、練習が終わると晴れて「山工生」となる。この練習は苦くも愛しき思い出として卒業生の心に生き続け、厳しい社会を生き抜く活力となっていくのだと言われている。なお、山工生は全校集会などでは真面目に校歌を歌うことは敢えてしない。しかし、ひとたび団結すべきときになると山工健児たちの高らかな歌声が、真締河畔に響き渡るはずだ。また、野球応援も独特だ。なんと、宇部工業はトランペットなどの吹奏楽による応援を一切要しないのである(吹奏楽部が無いためである、もちろんチアリーダーも無い)。よって、太鼓と声援だけでの応援となる。男子生徒のみ数百人による熱い応援に炎天下の中、答える球児たち・・・このことについては、チアガールを要するチームと対戦する際におけるモチベーションの低下を危険視する声も一部関係者の間でささやかれるほどである。
部活動は県内はもとより、中国大会や全国大会で活躍する優秀な部もあり、各部総合した成績は県で上位となっている。
[編集] 沿革
- 1921年 山口県立宇部工業学校として開校(機械科・電気科設置)
- 1936年 応用化学科(後、工業化学科)設置
- 1938年 採鉱科及び第二部採鉱科設置(その後1941年に第二部採鉱科廃止)
- 1939年 冶金科設置
- 1943年 山口県立宇部第二工業学校(現在定時制機械科)設立
- 1946年 建築科・土木科設置(その後1948年に建築科・土木科廃止)
- 1948年 山口県立宇部工業高等学校と改称
- 1949年 冶金科廃止
- 1963年 化学工学科設置
- 1964年 採鉱科廃止
- 1984年 化学工業科設置(工業化学科と化学工学科を統合)
- 1991年 電子機械科設置
[編集] 学科
- 全日制 各クラス定員40人
- 機械科 1、2年生1クラス 3年生2クラス
- 電子機械科 全学年1クラス
- 電気科 全学年1クラス
- 化学工業科 全学年1クラス
- 機械科 全学年1クラス
[編集] 部活動
- 体育部
陸上競技部、水泳部、山岳部、バスケットボール部、ハンドボール部、バレーボール部、ソフトテニス部、 卓球部、サッカー部、硬式野球部、柔道部、弓道部、バトミントン部
- 文化部
文芸部、新聞部、美術部、書道部、JRC部、写真部、ニューメディア部、メカトロ部、囲碁・将棋部