山室軍平
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山室 軍平(やまむろ ぐんぺい、1872年(明治2年)9月1日 - 1940年(昭和15年)3月13日)は、日本救世軍の創始者。説教家。岡山県阿哲郡哲多町(現在の新見市)生まれ。石井十次、アリス・ペティ・アダムス、留岡幸助とともに「岡山四聖人」と呼ばれる。
[編集] 略歴
実家が貧しく少年時代養子に出される。14歳で上京、印刷工となり、暫くして教会主催の英語学校に入学。そこでキリスト教に触れる。1889年(明治22年)、同志社大学神学部入学。赤貧の中勉学に励むが、1894年(明治27年)に健康を害し、また当時広まりつつあった自由主義神学への反発もあり同志社を去る。その後暫くは石井らとともに高梁教会などで伝道活動を行なっていた。
翌1895年より石井の勧めで救世軍に参加。大いに働き、日本最初の士官(牧師)、東洋で最初の中将、司令官となる。終生、社会事業、公娼廃止運動、純潔運動に身を捧げた。1923年(大正12年)、勲六等瑞宝章、1937年(昭和12年)、救世軍より「創立者賞」を受ける。
「平民の福音」を始め、分かりやすい言葉による著書や説教が親しまれた。妻の山室機恵子、山室悦子(後妻)、子女の山室武甫(名前はウィリアム・ブースとジョージ・フォックスに由来)、山室民子らも、それぞれ婦人運動家、学者、伝道者などとして活躍した。
[編集] 著作
- 「平民の福音」
- 「私の青年時代」
- 「禁酒のすすめ」
- 「病床の慰安」
- 「社会廓清論」