自由主義神学
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自由主義神学(じゆうしゅぎしんがく)は、キリスト教の、主にプロテスタントの神学的立場の一つ。その発生以来、プロテスタント教会の主流派の多くが採用する立場。「自由主義」の語は社会学・政治学用語からの仮借であり、神学分野では「歴史的・組織的な教理体系から自由に、個人の理知的判断に従って再解釈する」の意である。かつては新神学(New Theology)とも呼ばれ、日本のキリスト教界にも大きな影響を与えた。
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[編集] 自由主義神学の特徴
- 科学的な見方(進化論等)を許容し、聖書に記されている神話的要素(天地創造、ノアの箱舟、バベルの塔等)を必ずしも科学的・歴史的事実とは主張せず、宗教的に有益な寓話(若しくは神話・説話・物語等々)とみなす。
- 聖書本文に対する批評的な研究・解釈を支持し、書かれた言葉が書かれた時代の人々にどう読まれたかを解釈の第一義とする。各書の成立に纏わる伝説(モーセ五書の著者はモーセ、イザヤは一人の預言者イザヤによる、など)を必ずしも採用せず、聖書無謬説、聖書無誤説、逐語霊感説を採らない。
- 古文書学の他、考古学、史学の成果も最大限活用して古代の信仰のありようを分析し、そこから現代の課題に合わせたキリスト教信仰を再構築しようとする。
- 一部の甚だしく急進的な派では、イエスの母マリアの処女懐胎やキリスト教信仰の中心ともいえるイエスの復活をも事実とはせず、神の存在をも肯定しない。
- この段階に達すると、聖書と基本信条に示される三位一体の神を信じる、歴史的なキリスト教の正統信仰の枠から、完全に逸脱する。異端神学というより、その宗教性そのものが根本から問われる。改革派の保守的神学者メイチェンは、この域に達した自由主義神学はキリスト教では無いと断言した。
- 用語「自由主義神学」は、これら科学や聖書学の成果を謙虚に受け入れる理性と保守的信仰を両立させている層から、宗教的に甚だしく形骸化している層・所謂宗教色の希薄な信仰者・共感者層までを幅広くカバーする。
[編集] 自由主義神学に立つ教派
現代においてはカトリック教会をはじめとして、日本基督教団、ルーテル教会各教派などのプロテスタント各主流派(メインライン・プロテスタント)がこうした立場を受け入れている。
[編集] 自由主義神学に立つ主な神学者
シュライエルマッハーと、マルティン・ルターの弟子フィリップ・メランヒトンがその「始祖」にあたるとされ、アルブレヒト・リッチュルとアドルフ・ハルナックが代表的な神学者として挙げられる。 また、自由主義神学の「行き過ぎ」に対して「危機神学」「弁証法神学」と称される新潮流を興したカール・バルト、エミール・ブルンナー、ラインホルド・ニーバーとヘルムート・リチャード・ニーバー、パウル・ティリッヒ、ルドルフ・ブルトマンなどの所謂新正統主義の神学者らも、広義の自由主義神学者に数えられる。
[編集] 自由主義神学への批判的見解
[編集] 自由主義神学の歴史とその影響
自由主義神学は十九世紀から二十世紀初頭に台頭し、伝統的な宗教観に大きな変化(保守的視点からは「打撃」)をもたらした。そのため、危機感を募らせた保守派が反動としてアメリカでキリスト教原理主義(ファンダメンタリズム)を興す。少し遅れて、同様に欧州でカール・バルトらによる新正統主義神学の潮流が生じた。