山本貞幸
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山本 貞幸(やまもと さだゆき、宝徳4年/享徳元年(1452年) - 大永7年9月28日(1527年))は、戦国時代の武将。吉野貞久の次男。幼名・源之助。通称・図書、弾正。本姓は源氏。
[編集] 略歴
駿河国山本村の武士で、山本浪人と称して諸国を遍歴し、一時三河国賀茂に落ち着くが、やがて山本へ帰ったという。武芸軍学に優れ、武田氏・今川氏に仕えた。
当初、前妻との間に貞継を儲けたが、妻と死別したため大橋入道の娘・安を後妻とした。この安との間に生まれた四男が山本勘助と伝わる(勘助の諱を貞幸とする説もある)。なお長子の貞継は、貞幸の兄・吉野貞宗の養子に入っている。
[編集] 貞幸の一門
明確な史料はなく、後世の地誌などに見られる。
- 父:吉野貞久
- 兄:吉野貞宗
- 長姉:早世
- 次姉:かな(穴山信綱室)
- 先妻:光禅尼(庵原忠胤の妹?)
- 長男:吉野貞継(兄・吉野貞宗の養子)
- 後妻:安(大橋入道の娘)
- 次男:石松(早世)
- 長女:早世
- 三男:光幸
- 次女:鶴(桑名城内室)
- 四男:勘助晴幸
- 養子:貞重