山本集
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山本 集(やまもと あつむ 1940年生まれ)は奈良県五條市出身の画家。元ヤクザという異色の経歴を持つ。
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[編集] 来歴・人物
浪華商業高校では野球部に在籍。チームメイトに張本勲がいた。甲子園を目指すもチームは暴力事件で1年間の休部となり夢破れる。以後、ケンカに明け暮れ、浪商総番長となる。
卒業後はいくつもの職を経て板前に転身。僅か1週間の修行期間ながら店長を任された。1965年、智弁学園高校の野球部の初代監督に就任。母校の浪商仕込みのしごきで選手を鍛えわずか1年で強豪チームを作り上げるが、行き過ぎた暴力指導が問題になり監督の職を追われる。
1967年、関西のヤクザ組織諏訪一家系淡路会に入りメキメキと頭角を表し、1970年30歳の時に山本組を旗揚げ、組長を襲名。のちに諏訪一家の若頭補佐に昇格、 関西の武闘派として名を馳せた。しかし、企業化してゆくヤクザの組織に身の置き所を失い、50歳直前にしてヤクザの世界から足を洗い、大好きだった富士山等を題材とした絵を多く描く。
代表作「雄渾」は関西国際空港の正面玄関に展示されている。
2007年、毎日新聞の元記者が国民新党の糸川正晃衆議院議員とのやりとりを糸川正晃議員に無断でICレコーダーで録音し、第三者に受け渡していた問題で、その録音テープを渡した人物として毎日新聞が名指し掲載することを了承した後に毎日新聞より名指しで掲載された。