岡部長住
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岡部 長住(おかべ ながすみ、元文5年6月3日(1740年6月26日) - 文化6年8月8日(1809年9月17日))は、和泉岸和田藩の第6代藩主。父は第5代藩主・岡部長著(長住は次男)。母は松平乗邑の娘。正室は鍋島宗茂の娘。子に娘(土井利義室)、娘(渡辺則綱室)。官位は従五位下、内膳正。
元文5年(1740年)6月3日生まれ。幼名は満弥。宝暦6年(1756年)5月10日、父の隠居で家督を継ぐ。藩政では法令を定めるなど、藩政によく務めている。しかし生来から病弱で、それを理由に明和9年(1772年)4月23日、家督を弟の岡部長修に譲って隠居した。文化6年(1809年)8月8日、70歳で死去。墓所:東京都新宿区榎町の済松寺。
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