市橋長璉
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
市橋長璉(いちはし ながてる、享保16年(1733年) - 天明5年10月6日(1785年11月7日))は、近江仁正寺藩の第6代藩主。父は稲葉菫通(長璉は次男)。母は中原氏。正室は松浦誠信の娘。側室に伊東氏、中西氏。官位は従五位下、伊豆守。
幼名は豊三郎。安之丞。民部など。宝暦5年(1755年)2月11日、先代藩主の市橋直挙の養嗣子となり、宝暦8年(1758年)11月24日の直挙の隠居により後を継いだ。天明5年(1785年)10月6日、仁正寺にて53歳で死去し、後を子の市橋長昭が継いだ。法号:嶺雲院殿徹翁浄閑大居士。墓所:滋賀県蒲生郡日野町の清源寺。
|
|
|